2016年1月28日木曜日

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その1】

自分にとって有益な情報だなぁ

忘れちゃいけないな

たまには思いださないとなぁ

と思うTwitterを個人的に保存してみました。

1回に約100個ほど。

 

 

 


「2ちゃんねるを見せない」というフィルタリングをするのではなく「2ちゃんねるを見せても大丈夫な教育」ってのは青少年健全育成で本当にやらにゃならん事に近いと思う。悪い情報に接しても影響を受けない人格の形成が無菌室より必要な筈なんだよな


お世話になってる編プロさんの入社試験、「因島に住んでるおばあちゃんが六本木ヒルズまで迷わず来られるような、案内のお手紙を書いてください」というもの、思いやりとサービス精神のないやつ、文章力構成力ないやつ、世慣れてないやつ、全てが一気に暴けてほんと恐ろしい試験だと思った


少し前、今くらいの時間に若い女性二人が全力でダッシュしてて、片方の女性が「終電間に合うかなー!」と不安そうに言ったらもう片方の女性が「間に合うと思って走らなきゃ間に合わない!!」と答えていたことをたまに思い出す


近所のおばちゃんに教えられたとおり、毎朝鏡に向かって「ええ男やわぁ優しそうやわぁ凛々しいわぁ渋みがあるわぁ仕事できそうやわぁこういう人好きやわぁ」って1週間だけつぶやいてみたらすげー元気出てきた。不思議。


トランプが52枚なのは一年が52週であることを示している。ダイヤが春、ハートが夏、クラブが秋でスペードが冬の四季を現していてカードの数字を全て足すと364になる。そこにジョーカーを1として加えると365、一年の日数になる。


「たいがいの(夫婦)ケンカってのは、寝不足と、腹減ってるね」by 西原理恵子


「これでうまいもんでも食えや」って言って割り箸出すギャグやりたい。


桜は『散る』、梅は『こぼれる』、菊は『舞う』、牡丹は『崩れる』、椿は『落ちる』。花の終わりはそれぞれ違うんです。


1. 幸せなときに約束するな 2. 怒ってるときに返信するな 3. 悲しいときに決心するな


予備校時代に国語の先生が「日本の古文を解読するときのコツは『どうしようもなく変態でしかも頭も悪く文才もイマヒトツな金持ちのボンボンがだした自費出版』だと思っ読むこと」と言っていた

2016年1月21日木曜日

【提案】妻恋メガネをかけてみませんか【ハッピーになれる】

【色眼鏡】

偏った物の見方。先入観にとらわれた物の見方を
「色眼鏡で人を見る」と表現することがあります。




そんな風に、妻に恋するように偏った見方で
妻を見てみませんか。
あの頃のように。

【妻恋メガネ】

わざと、偏った見方をするんです。

「俺の妻は最高だと。」

思えるか、思えないではなくて、思うんです。

そう、何が何でも「思う」んです。
確かに、最高じゃないところもあるんですよ。
でも、感謝すべきところの方が多いんです。

愛妻家で知られる 土田 晃之さんの言葉に
ハッとさせられたんです。

「浮気が原因で離婚したら
家も子供もとられて慰謝料と養育費で
2億飛んでいくんですよ?
2億の価値のあるセックスってどんなんですか?」

他の女性なんて見ている場合じゃないですよ。

2016年1月14日木曜日

【つらい時】魔法の呪文【思い出してほしい】

人間だれでもつらい時があります。

どうしてほしいのか、自分でもわからない、

つらくて、つらくてどうしようもない時。

そんな時に、ふと思い出してほしい。




「シンデレラ」で、
魔法使いのおばあさんフェアリー・ゴッドマザーが唱えた魔法の呪文は
「サラガドゥーラ、メチカブーラ、ビビディ・バビディ・ブー!」
でした。

「アリババと40人の盗賊」で、
扉を開ける際に唱えた呪文は
アラビア語で「イフタムヤーシムシム」
でした。
英語で、「オープンセサミ」
直訳で、「開けゴマ」なわけです。

ラピュタや、ハリーポッターでも
魔法の呪文が出てきますね。

2016年1月7日木曜日

【読書】40歳のためのこれから術

「40歳のためのこれから術  / 松浦弥太郎」
を読みました。

40歳なんて、まだまだ遠い話なんて思ってましたが
徐々に近づき現実味を帯びてくると
何とも言えない漠然とした不安に包まれることがありました。

この本を、読んでからは元気が出ました。
なんか希望というか、頑張って行こうという励みになったというか。
この本は落ち着いた時間をを取って
時々、見返さなければなりませんね。
(いつものように、自分のために残しておきます。)




忙しいと立ち止まることを忘れます。

四〇歳の時点で、走り続けている人、座り込んでいる人、両方いるでしょう。
成功している人、成功していない人も、同じくらいいるでしょう。
どちらの人にとっても四〇歳というのは、
新しいスタートを切るチャンスだと僕は思います。


立ち止まり、熟考し、新たなスタートを切るとき、
それが四〇歳なのです。


だからこそ、四〇歳で立ち止まろうではありませんか。
今一度、目的地を考えようではありませんか。


僕は四〇歳になったときに、一つの目標をたてました。
「七〇歳を自分の人生のピークにする」というものです。


この決意は、
僕に再び「ぴかぴかの一年生」の気分を味わわせてくれるものでした。


もう一つ付け加えておくと、
「ピークを意識する」とは「終わりを意識する」ことです。
自分が老いるということ、死ぬということを受け入れる。
これも四〇歳でしておくべき覚悟だと感じます。