2016年1月7日木曜日

【読書】40歳のためのこれから術

「40歳のためのこれから術  / 松浦弥太郎」
を読みました。

40歳なんて、まだまだ遠い話なんて思ってましたが
徐々に近づき現実味を帯びてくると
何とも言えない漠然とした不安に包まれることがありました。

この本を、読んでからは元気が出ました。
なんか希望というか、頑張って行こうという励みになったというか。
この本は落ち着いた時間をを取って
時々、見返さなければなりませんね。
(いつものように、自分のために残しておきます。)




忙しいと立ち止まることを忘れます。

四〇歳の時点で、走り続けている人、座り込んでいる人、両方いるでしょう。
成功している人、成功していない人も、同じくらいいるでしょう。
どちらの人にとっても四〇歳というのは、
新しいスタートを切るチャンスだと僕は思います。


立ち止まり、熟考し、新たなスタートを切るとき、
それが四〇歳なのです。


だからこそ、四〇歳で立ち止まろうではありませんか。
今一度、目的地を考えようではありませんか。


僕は四〇歳になったときに、一つの目標をたてました。
「七〇歳を自分の人生のピークにする」というものです。


この決意は、
僕に再び「ぴかぴかの一年生」の気分を味わわせてくれるものでした。


もう一つ付け加えておくと、
「ピークを意識する」とは「終わりを意識する」ことです。
自分が老いるということ、死ぬということを受け入れる。
これも四〇歳でしておくべき覚悟だと感じます。


四〇歳は、イモ虫としてはベテランですが、蝶々としては新人。
蝶々としての世界がもっとある。
そんな意識をもてたら、と僕はいつも感じるのです。


四〇歳で人生をあきらめるなど早すぎます。
すべてこれからなのです。
厳しい環境は、あきらめる理由になりません。
人生が終わってない限り「自分の最終結果」は出ていないということです。


四〇歳で立ち止まったときにすべきは、
「客観的に自分を知る」という作業です。
僕たちは自分のことをよくわかっているつもりでいますが、
いつの間にかいろいろなことが曖昧になっていたりします。

曖昧なままで捨て置かず、
客観的に自分を知るためには、
自分自身の年表づくりがいちばんです。


まずはノートか白い紙を用意しましょう。


マイストーリーを掘り起こすひと手間は、
かける価値のあるひと手間だと感じています。
そこにはたくさんの宝物が埋まっています。


自分の思い込みを正す意味でも、
年表から「人にしてもらったこと」を拾い上げていきましょう。
感謝の気持ちこそ人生のモチベーションであり、
感謝の気持ちがあれば、シニアという世代を迎え、
この先どんなに大変なことがあっても、
頑張れると信じています。

乱れた服装や伸びっぱなしの髪は不快感を与えますし、
信用を損なう危険もあるのです。

「最近忙しくて、こんな格好ですみません」という態度ではなく、
いつでも胸を張って会えるようにしておきたい。
身だしなみとは、かなりのモチベーションになるものです。
「きれいに整えれば、人に会いたくなる」というのは、
男性でも女性でも同じではないでしょうか?


「なにか望みがあるなら、いいことだね。
それならまずは、それを誰かにしてあげなさい。
そうすれば、簡単に手に入るよ」


四〇歳を機会に、いただく側から与える側へと意識を切り換えましょう。
自分の身の回りの人、出会う人、もちろん社会に対しても、
与えながら生きていくことを目的にしましょう。
さあ、「いただく」から「与える」に、舵を切りましょう。


「たくさんの人に喜ばれることをしているか?」この点を考えない限り、
ポジションや収入は上がっていかないと思います。


僕は、“Think Global,Act Local.”という言葉がとても好きです。
まず、世界的な視野に立って考え、その上で自分ができる身近なことをするべきだと思うのです。
たとえば一杯のコーヒーをおいしく淹れることを追及することはいいことですが、それだけで終わるのはつまらない。
「このおいしいコーヒーを、世界にどう役立てられるだろう」と考えたほうが素敵だし、
頭の中に大きな風景がふっと広がるのではないかと思っています。
“Think Global”に関してもう一つ言うと、
自分はグローバルレベルで、どのくらいの実力なのかも知っておくといいでしょう。
人生を楽しみ、社会に与え続けながら生涯をまっとうしたいなら、
まず“Act Local”で近所の人と仲良くする。
その時はじめて“Think Global”ができるようになります。


“Be a good neighbor.”の宗教的なニュアンスには少し抵抗がありますが、
近隣のコミュニティとよい関係を築くには、大いに参考になる考え方だと思います。


世の中のすべては循環している。
だからこそ、これからの三〇年はよく考えて、
何らかの形で自分と世の中に
健全にリターンされるお金の使い方をしましょう。


四〇歳でぴかぴかの一年生に戻って、毎日を丁寧に送ると、
やがて自分の翼は広がっていきます。
蝶として大きく飛ぶごとに、仕事も豊かになります。
いろいろな人に役立ててもらい、喜んでもらうように努めていくと、
入ってくるお金は自然に増えます。
しかしこれは、いずれ社会に還元すべきお金です。
自分のために使うお金はお金として、日々の営みの中できちんと備えておきましょう。
家族や社会に依存せずに生きていくためには、老後の資金も必要です。
自分と家族にとって、必ず出ていくお金をはっきりさせましょう。
教育費、家賃や住宅ローン、生活費、医療費。
はっきりさせたら出ていくお金はできるだけ減らしましょう。
何にどう使うかを考えることが、老後の資金を確保する一番の近道です。
支出を抑えるといっても、自己投資まで抑えることはありません。
ちゃんと身になるお金は、惜しみなく使うことです。
年下の人にごちそうするとかいった与える行為に使うお金も、
決して惜しんではいけません。


年齢を重ねて「先が見えた」と思ったら、たちまち弱者になります。
そんなわけしり顔の大人になるのは、断固としてやめようではありませんか。
先は見えなくていい。不安でもいい。
ずっとチャレンジし続ける三〇年を過ごしましょう。


いろいろなものを求めて、いろいろなものを手にして、生きる。
いろいろなものを学んで、いろいろな情報を蓄えて、いろいろな知恵をつけて、生きる。


こうして、存分に人生を楽しんだら、
最後は全部手放して、何も持たずにこの世を去っていきたいと感じます。
自分が得たものは、一つ残らず、すべて与えて去っていく。
何もかも、社会に還元していく。
これが松浦弥太郎の死に方であり、終わりの物語なのかもしれません。


松浦弥太郎さんの本っていいですよね。

【読書】100の基本 松浦弥太郎のベーシックノート





「Life begins at forty.
人生は40歳からはじまる。」
(英語のことわざ)
若いうちは見えなかったものが、年をとると見えてきて
ようやく、40歳になって自分が見えてくるのかもしれません。

なんしか、カッコいい大人になろう。