2018年9月20日木曜日

【コピペ】教育って何かを考えさせられるTweet【時々更新】

子供が生まれて、
教える側に立つ機会を得て
改めて「教育」って深いと感じることが多々あります。

歳を重ねるごとに深く考えさせられる
人生の中でも大きな命題だと
感じるようになりました。

そうして、教師という職業は
改めて尊い職業だと思うことも、しばしば。

自分としては、
教育とは発育を促すことなんだろうという
漠然とした軸は、わかったような気になっているのですが、
まだまだ、探究するべきところの多い命題です。
これから先、子供たちにどんなことを教えることができるのだろうか
そして、またその子供たちにも脈々と何かを伝えることができるのならば
それは、きっとすごいことになるはずだから。

ということで、そんな教育とは何かと考えさせられる
Tweetを見つけるたびに更新していこうと思います。
自分のために。
「教育」ってなんだ~!?







秋の読書週間が始まり、明日は多くの小中高の集会で校長が「読書の大切さ」について話すでしょう。
しかし、その言葉に感化されて図書室に行く児童・生徒は極めて少ないのです。
それよりも、担任教師がHRで「私のとっておきの1冊」を紹介する方が、
はるかに子どもたちの興味・関心を惹くと思います。


読書って大事だよなと思うのは、「出会うべき一冊に出会って人生を変えるため」ではなくって、「たまたま出会った変な一冊によって人生が変な方向に変わらないため」だと思っています。リスクヘッジ。


「生きる意味や価値を考え始めると、我々は気がおかしくなってしまう。生きる意味など存在しないのだから」 ― ジークムント・フロイト


ドイツでは「たった一人でも反対できる人間を育てる教育」を目指しているというのを知ってから、このフレーズが私の頭の中からずっと離れない。


アメリカに留学していた方が「今妊娠したらどうするか」という課題が出され各々自分に身に起きたと想定して制度や選択肢を調べるという授業があったと話しておられそれこそ本当の性教育じゃないかと、日本では追詰められた高校生一人出産し殺害するしかない日本との落差を考えた。





「あなた方が凄く発音良さそうに思ってる「英語ペラペラの日本人」はネイティヴが聞けばみんな同じ「日本語訛りの英語」なんだから、遠慮せず何でもどんどんしゃべれ」とイギリス人に言われたことがある(´・_・`)


出来れば〜になりたいんですけど!という学生が圧倒的に多い。この出来れば!というのがくせ者です。誰だって出来るならやりたいよね!出来なくてもやる!ぐらいの根性がないと成立しない。最初は単なる勘違いとか、勝手な思い込みとかでいいんだけどなぁ。どうやらみんな真面目に考えてるようです。


河合隼雄先生が子どもに本を読ませるにはって質問に、書斎の本を子供に見せて「ここの本は子どもはまだ読んじゃ駄目だよ」と言っておいて、親が外出しているときに書斎のドアをこっそり開けておけば子どもは入りこんで夢中で読みますよって言ってて、なんかすごく良かったのを思い出した。


「何度言えばわかるのか」という質問に対しては明確なデータがあるらしくて、「500回」だそうで。500回言わないと人はわからないのだから10や20言ったところで「何度言えばわかるんだー!」とブチ切れるのは早すぎる。


「おまえら、ピーマンが嫌いでも絶対に子どもの前で嫌いと言うなよ。子どもも必ずピーマンを嫌いになるからな。まずい、と言うなよ。口に合わないと言うんだ」と学生時代に教えてくれた教授がいて、それ以来、相手が大人であれ子どもであれ、「嫌い」の主張について慎重に考えるようになった。


【本の学び】人に何かを教えるには、自分だけが納得した部分の3倍の理解が必要となる。僕はあなたに説明することで、自分だけの理解の三倍の理解を得ることが出来ている。


「例えばこのクラスのみんなが『晴』という漢字を書いても線のとめかた払いかたは絶対に同じにはならない。それが個性です。みんなが『晴』と書く中で『雨』と書いて、僕はみんなと違うんだ!すごいだろう!!と言ってもそれは個性とは認められません」という小学校の担任の先生の話はよく覚えている


昔高校の地学専攻の先生に「幸せって何ですかね」って聞いたときに「明日が楽しみなことじゃない?」って答えてもらったのを覚えてる。素敵な先生だった


学生に本を薦めるとき、「この本はまだ君たちには早い」と言うことにしている。「読め!」と言っても、たいていはまあ読まない。逆に口を酸っぱくして「読むな」と言うと、たまに背伸びして読む子が出る。それが楽しい。


中学校での講演で「『早く夢を見つけろ』という周りの声は無視しましょう。そんな簡単に夢なんて見つかるわけなくて、いつか夢が見つかったときに、すぐに取り掛かれる環境に自分がいることや十分な基礎知識があることが最も大切なので、君たちがいまやるべきことは勉強です。」という話をした。


人生で何がしたいのか自分の頭で考えて努力しないと人生はクソつまんないものになります。「学生時代が一番楽しかった」とか言いながら過ごす事になります。自分の夢の為ではなく他人の夢の実現の為に労働させられる事になります。人生一度きりです。自分の頭で考えて納得のいく人生を送ってください。



保健の授業にて 「左利きの人、手を挙げて。」 「AB型の人、手を挙げて。」 いずれも40人中2、3人が挙手する。 次に、 「同性が好きな人、手を挙げて。」 と言うと生徒は失笑する。 「日本に、同性愛者は左利きやAB型と同じ割合でいる。」という話をすると、 笑うのをやめ真剣に聞く。



以前、恩師に言われた言葉。「自分が信じていなくて、どうして他人に教えることができるのか。まずは自分自身が言葉通りに生きて、実践できてこそ、伝える言葉に命が宿る」。



子どもの頃 イジメられてたボクに小学校の担任は「大人になって好きなコが出来たら今日の事を話すといい。抱きしめてくれるよ、約束してやる。しばらくしたら全部面白い話しになるから」と言って抱きしめてくれた。どんな言葉よりも未来に希望が持てたし、その話しはワインバーで特にモテた。



「人は黙っていても誤解されるので、ならば話した方が良い。話したうえで誤解された方が良い。何故ならば、誤解する人はどう転んでも君のことを誤解するからだ。表裏のない人間になりなさい、君」これはぼくの恩師の言葉なんだけど、割と人付き合いの真理を突いている気がする。


三女が小学校の漢字テストで102点を取ったと自慢してきた。回答の中で問題とは関係ない部分にもまだ習っていない漢字を書けば1点もらえるというシステムで、それは100点を取った人だけのボーナスだという。で三女はテスト前に習った漢字以外の字を自分で必死に調べて覚えている。先生は頭いいと思う。



教員の方の言葉で忘れられないものっていくつかあるのだけれど、「『大丈夫?』って尋ねて『大丈夫』って答える子は、大丈夫じゃありません。何もないなら、『えっ?なにが?』という返事になります」っていうのは、聞いてて泣いた。今でも思い出すと泣きそうになる。



昔、伯父が私に「例えばオフィスを掃除する仕事があったとしたら、1人の人間に頼んではいけない。毎日別の人に掃除してもらう。そうすると綺麗になる。1人の人に頼んだらその人の癖がでて、どうしても汚れが残る場所が出来る」と言った。その時は「ふーん」と流したけど今なら分かる。多様性の話だ。




昨日、平泉の中尊寺金色堂を拝観した際に隣にいたお母さんが、娘に、 「今は名前は忘れてもいいから、金ピカな建物を見たって覚えておいて。大きくなって歴史を勉強した時に、来たことある事を忘れていなければ勉強がもっと面白くなるから」 …と教えていて、良い育て方してるなぁと



電車内で 子供と会話もしないで突っ立ってるだけで、退屈した子供が動き回って悪さすると「じっとしてなさい!」って怒るだけの親と、窓から見える景色に「あれなに?何が見える?」って話しかけて子供が悪さする隙も与えない親が目の前に一組ずついる。こういう違いなんだよ。こういうことなんだよ。




わいもそう思う。観察会で捕まえて喜んで親に見せた虫を「気持ち悪い」と言われて川に投げ捨てた子や、魚を指さして「すごいね」と親に言ったら「えーそうかな」と返されて目の輝きを失った子は、何度か見た。親がつまらなそうだから、子供もつまらなくなったという、それだけだと思う。





会社講演で「人を追い込んじゃあかん。抱え切れる荷物の数は人それぞれ。5つ抱えれば限界の人に5つ抱えさせれば鬱病等の精神疾患を引き起こす事に。『この荷物は背負わんでいい』とたった一つ下ろしてあげるだけで逃げ道ができ、心に余裕が。人を育てる側の者は未熟だった頃の自分を忘れぬこと」と。




幼稚園の時シスターに「嫌いなおともだちがいるの」って言ったら、小さい声で「きらいでもいいのよ。親切にしなさい」って言ってくれて安心した。天国に行けないんじゃないかと心配したのです、純真だったなぁ。そしてシスターはわかりやすくて優しかったわ。





ストーブに触ったらいけないことを学ばせるためにまだ言葉が十分に通じない子供にストーブに触らせる(痛い思いをさせる)必要は無くて、親がストーブに触って「あちっ」と痛い目を見ている『芝居をする』だけで十分学習する。のだそうだ。




分かりやすい英語教師「副詞は『めっちゃ』だ。めっちゃすごい、めっちゃうごくとは言っても、めっちゃ車、めっちゃ花、だと何かおかしいだろ?副詞は一部の例外を除いて名詞を修飾できないんだ」




足が遅かった頃、中学校の体育教師に短距離苦手な奴が集められたことがあった。 また説教かと思ったところ、フォームを細かくチェックされて全員が1秒以上タイムが縮まり「これが体育だ」と言われた。 あの経験がなければ運動が得意になる日は来なかったと思う。




子どもに「短所」はない。ただ「特徴」があるだけ。その「特徴」は、他の子には見られない「長所」でもある。それが短所に見えてしまうのは大人の側が、ある価値基準を持ち、それを子どもに当てはめて評価するから。特徴が短所に見えるのは、価値基準にこだわるから。




クラファンでお金を集めた高校生に対して、新しい仕組みをなにも理解しようとせずに、「とにかく校則違反だ!」と言っているだけの教師を見ていると、ああ、ほんとうに学ぶことをやめた人間は、教えることもやめなければならないな、と思った。




基礎教育っていうのは、一言でいうと昔のエラい人たちが発見・発明してきた原理を学び、3000年ぶんくらいの文明の叡智を10年そこそこで吸収することだよ。必然的に暗記中心だよ。逆にいうと、基礎教育を軽んじることは、3000年ぶんの人類の叡智を軽んじることだよ。




大人が大人としてのふるまいをしている環境でこそ、子どもは子どもらしくいることができる。幼い自分が踏み入れることのできない場があることは成長意欲を促す。
逆に大人への憧れがないと、子どもは無気力になる。説明責任を果たさず大人を振りかざすせば子どもには大人への不信感が募る。





アラサーになった今、身の回りの吹奏楽部出身女子たちがことごとくDV彼氏に引っかかったり、ブラック企業で苦しんでいたりして
どうも威圧的な指導者にギリギリまでストレスをかけられた後
「お前たちは凄い。誇らしい」
とベタ褒めされた経験があると、同じような存在に引き寄せられてしまうらしい





大学の音声学の授業が退屈でみんな寝てたけど、ある日地味な教授がLの発音の重要性を熱弁しはじめて、"I love you"という決め台詞を下手に発音すると"I rub you(お前をこするから)"ってくだりだけ盛り上がってた。暫くの間、みんなアホみたいな顔して帰国子女の子相手に"I love you"を練習してた。



 学校のいちばんいいところは「興味がないこともむりやり勉強させられる」ことだ。独学でいちばん難しいことがそれだからだ。



中学校の先生が「最近の若い人は感動した時に写メを取りますね。どんどん取りなさい、その時の気持を覚えておきましょう。それは、昔の人が俳句や和歌を読んだのと同じ理由なんですよ。あなた達の感性と同じなんですよ」とおっしゃっていたこと、思い出しました。



小中学校で英語の教科書を読まされるときにイイ発音で読んでるやつを「うわーあいつ調子乗ってるぜーww」みたいに扱って棒読み朗読を強いる風潮がある限り、日本人の英語力向上なんて限度が見えてる。




学生に本を薦めるとき、「この本はまだ君たちには早い」と言うことにしている。「読め!」と言っても、たいていはまあ読まない。逆に口を酸っぱくして「読むな」と言うと、たまに背伸びして読む子が出る。それが楽しい。



教養って「それを身につけるまで、それが自分にとってどんな価値があるかわからないもの」なんですよね。この「わからなさ」こそが教養の本質的価値であって(何しろ誰にも値札が付けられない)、人を教養へと向かわせる推進力になっているという。



真珠湾攻撃(1941.12.8)から終戦(1945.8.15)まで3年強。皆さんが大学で過ごす4年間より短い期間にあれだけの事が起こったのですよ。時間、大事にしてますか?



子どもの頃、医者に憧れた。で、ぬいぐるみのお腹をカッターで切った。マスクまでして、手術のつもりで。大人たちは大騒ぎ。母は血相変えて二度とやるなと怒鳴った。誰からも「なぜやったの?」と聞かれなかった。子どもにはそれなりの理由がある。残酷残酷と騒ぐ前に一度聞いてあげてね。



Eテレの10代向け番組で体罰を取り上げていた。ある女子生徒が「先生は怖いだけじゃなく,殴った後で,わかったか?と優しく言ってくれる。体罰とは思わない」というのを聞いて,思わず「DV男と同じだ」と呟いてしまった。他にも「先生の熱意」を理由に暴力を肯定する若者が多く,恐しく感じた。


学部のころ、先生が「遊ばなきゃいけないよ。遊ぶってことができる人は少ないんだよ。ふざけるのは誰にでもできるけど、遊ぶってのは考えなきゃできないんだよ。君らはふざけてるだけだ。遊びなさい」って言ってて、今から思うとわりと真理だった。


まーなんでもそうなんだけど、「失敗できない」と思うと苦行だよな。失敗をリカバリーする経験値が上がると楽しく挑戦ができて、結果的に失敗が減り、できることが増えていく。遊びの中でそれを学ぶには、プラモデルはなかなかいい教材だと思うんだよな。



前にも書いたが中学校の数学教師に「生涯年収を考えると、どうせやるなら5億円以上の犯罪にしろ」という教えを受けたのは今でも忠実に守っている



受験生へ。クリスマスをどう過ごそうが落ちる人は落ちるし受かる人は受かります。たかが二日で受験結果に影響を及ぼすほど学力が変わるんだったら誰でも東大生になれます。



「悪いもの」「子供に真似させたくないもの」を、「悪だから隠す」とやってると、子供はそれを知らないままに成長して、ある日突然「対応策も取れずに染まる」とか、「識別ができずにやられる」とかになるんで、子供が成長して大人になって老いて死ぬまで過保護にできないなら、過度の隠蔽はよくない。


こういう、女性の識字率を上げることによって、中東や中南米の出生率を下げることリプロダクティブヘルスって言って、ヒラリーがすごく推進してるんだけど、これ、逆に言えば出生率を上げるには、女の教育やめればいいってことになるんだよね。



なぜ社会を勉強するのかって 俺が今までずっと知りたかった疑問に対し 「まず、現代社会を学び日本のことを知る。 そこから地理を学んで世界に目を向ける。そして世界の歴史を学んでいって視野をどんどん広げてくことが大事」って言われて思わず納得しちゃった



学校で先生が全員に一枚のノート用紙を取り出して、破いて丸めて床に落として踏んづけるように命じた。
そして、その紙を拾って優しく開いて元に戻すようにと言った。
 「どの紙も元に戻れないでしょう。人をいじめた後はどんなに優しくしてあげても元に戻らない。」
 先生の言葉がい忘れられない。



子供がドリンクバー混ぜて遊んでて「食べ物で遊ぶなよ、あと親も注意しろよ」などと内心思ってたら、ものすごいマズいのができたらしく一口飲んでもういらないと言いだす。すると「ぜんぶ飲むまで帰らん。やったことの責任はとれ」とお母さん不動の構え。なるほど、これが教育か。



「学校で掃除を罰として使うな。家の掃除をしている主婦は毎日何の罰を誰から受けてるというのか。学校で『罰として掃除』を覚えた子が、帰宅して母親と家事を蔑むようになる害がどれ程大きいか」昔聞いてめちゃくちゃ同意したなぁ。


なお、日本人にオススメのRの発音方法は「る」の後に「ぁぃぅぇぉ」を付けるというものです。具体的には、Robotならロボットじゃなくて「るぉぼっと」。Riceならライスじゃなくて「るぁいす」という具合。


人は誉められる事でしか伸びない。誉めてないのに伸びたとすればあなたの代わりに誰かが誉めている。上手くやった時に「できて当然」とばかりに誉めず、失敗した時にだけ「なぜこんな事が出来ないんだ」と説教する時、教育の効率は最も悪くなる。これが分からない人間は教育者として無能



嫁さんが大学の専攻で保育実習に行った時に「子供同士の喧嘩で片方が叩いたのを見て止める時は『だめ!』ではなく『どしたん?』で体割り入れて止めること、最初から叩いた方が悪いという結論で入らないように」と教えられたそうで。ああなるほどなと。どっちが悪いかは危険を回避させた後で良い。



引きこもり時代に人から言われて、心に響いた言葉。「助けてって言いなさい。勝手に遠慮して諦める前に言いなさい。今は、助けたくても、お節介が焼き辛い時代なの。伸ばされた手は取れるけど、手を伸ばしてくれないと掴めない。必ず掴んでくれる人はいるから、信頼できる人を探す努力をしなさい。」



10年前に都の合唱コンクールの総評でえらい人が言ってた、「いちど全部ピアニッシモで歌ってみなさい、こらえきれず強くしてしまったところ
 がその曲の本当に強く歌うべき部分です」っていうのが忘れられないし、音楽以外のあらゆることにあてはまりすぎてずっとそうやって生きてる




昔先生に「お前なぁ〜貧乏っていうのはな、たとえば一ヶ月6000円の定期が買えなくて、毎日300円の切符を買わなきゃいけないような問題なんだよ」って言われて、なんとなくなるほどなってなった



サッと宿題をした子はうれしくて「できたっ。」と言って、親に見せにくる。しかしその瞬間、親はほぼ間違いなく、言ってはいけないことを言う。「そんなに速くできたのなら、余った時間にもう一枚プリントやったら!」それを聞いて子どもは15分でできる宿題を30分かけるようになる。



その開戦スペシャル授業で、先生はとても嬉しそうに「戦艦アリゾナ 轟沈」とか、黒板に戦果を書き連ねたのだった。それからしめくくりに、「君ら、戦争は悪いもの、いけないものと思ってるだろう? だけど先生らがやろうと思えば、一週間で君ら全員、戦争賛成に変えられるぞ」と言った。



小学校の国語の時間に先生が「水戸黄門で八兵衛がものを食べるシーンがあるのは、その後八兵衛が腹痛を起こして、あるいは八兵衛が食べた名物を巡って騒動が起きる伏線で、八兵衛は意味なく食べてるわけじゃないんだ。作文もそういうふうに書くんだよ」とプロットの基礎を教えてくれた。




大人がやった方がよっぽど早いものを、黙って待つ瞬間が「子供を育てる時間」だよなぁ…
私はね、たとえその指導法が間違っていたとしても、壁の絵を指差して「変な絵」って言ったり、試合してる子どもたちを指差して「あれがブラック部活だよ」って言ったり、そういうのは嫌なの。主張のために子どもの人格を無視して利用するなら、貴方が守ろうとしてるのは子どもじゃなくて持論なんだな。




保育士として働き始めてからしばらく経った時、「叱る」というのが分からなくなって悩んだ。本を読んだり、怒るとの違いを調べたり。でも分からなかった。そうしてたら、当時の園長が「“この子が幸せになりますように”って思いながら言えたら、それは叱ったんだよ」って。難しい定義なんてなかった。


大人が子どもを叱る時、「何で叩いたの!」「何で用意してないの!」といった具合に「何で」を使いがち。本当に理由を聞きたいなら「どうして?」で十分で、“理由を聞く”と“叱る”を同時にしようとするとどちらも伝わらず、怒られないように嘘や言い訳をしてしまう。この2つをしっかり分けるのが大事!


これは確かに有効。 息子らが「この問題がわからないから教えてくれ」って時に、「かーちゃんも久しぶりすぎて忘れたから、まずは問題について分かってるとこまで教えて」って頼むと、オイラに説明しているうちに自力で解答にたどり着いたりする。



私の学生時代の知り合いで「苦手なことこそ積極的に取り組め」という教育を受けて育った人が「自分を変えるため」という理由で敢えて苦手な営業職に就職しました。彼は、仕事にどうしても馴染めず、精神を病んで仕事を辞めてしまいました。人間心の健康に一番大事なことは「苦手なことは避ける」です。



我々は、特に日本人は、「自分の不安をどうコントロールするか」という心理テクニックを幼少時から身に付けるべきだ。しかし実際には、親や教師が子供をコントロールするために「不安」を植えつけている、という悲しい光景がそこかしこで見られる。



向こうから来る美味しい話は詐欺、周りにカモがいない時は自分がカモ、タダで何かくれる時は自分が商品、というのは息子にがっちり教え込まないとな。



私なりの結論は子供が才能を持っていると思った時点で一番いい親の態度は、自分の人生に集中することだ。目標を持てと言っている親自身に目標がないこととを、子供はすぐ察知する。負けるなと言っている親が、ちゃんと勝負しているかを子供はちゃんと観察している



テレビ禁止、漫画禁止、交際禁止と不健全なものとは一切切り離されて育った人が十数年後秋葉原で通り魔事件を犯したことを頭が固い人は知らないのだろうか



三女が小学校の漢字テストで102点を取ったと自慢してきた。回答の中で問題とは関係ない部分にもまだ習っていない漢字を書けば1点もらえるというシステムで、それは100点を取った人だけのボーナスだという。で三女はテスト前に習った漢字以外の字を自分で必死に調べて覚えている。先生は頭いいと思う。


子どもに何かしてほしい時は「あなた」ではなく「わたし」を使った方が行動してくれる。例えば「いつまで遊んでるの?早く片付けて」は相手を対象にしたものだけど、「ご飯をテーブルに出したいから、おもちゃ片付いてると嬉しいな」は自分が対象。これを意識してから、かなりスムーズなのでぜひー!


以前、Twitterで見かけた『陰口』の反対の意味を持つ『陽口(ひなたぐち)』って考えが好きだ。当事者の居ない所でその人のイイ面を率直に語る行為って、あらゆる集団において絶対にプラスの効果をもたらすと思う。実際そういう人がいた職場の雰囲気は良かったし、道徳教育の1つに入れて欲しい。


むかし高校の先生がこんな事を言っていた。 「難しい言葉とか諺は沢山知ってた方がいい。誰かが言った時に意味が分かるように。でも自分が話す時はそういうのは使わないで、簡単な言葉で話すんだよ。」 今でも座右の銘にしている。


昔、高校の卒業式で担任に「君達は勉強するために生きてるんじゃない。豊かで楽しい人生を勝ち取るために勉強するんだ。勉強すれば、きっと人生は華やかになる。勉強するしないは君達の勝手だが、一教師として助言したい。勉強、しとけ」と言われ先生間違ってなかったよ。




保護者会で園長が言ってたんだけど 「4歳になると子供はだいぶ変わります。喜怒哀楽の他に悔しいや羨ましいのような細かい感情が兼ね備わる時期になるので本人も混乱します。そのモヤモヤを親にぶつけてきます。出来てた事が出来なくなったとはとらえないように」と。 これ聞いといてよかった。




中学の時、初めて部落差別を授業で聞いた時に「こんなの知らんかったらいいことだからいらんこと教えんな」という俺に「お前みたいなのがどっかで歪んだ情報仕入れて偏見や差別が起こるのだから、今きちんと教えるんや」旨のことを言った国語の伊藤先生ありがとうございました。





先生向け説明資料には、「謝罪をゴールにしないようにお願いいたします。」と書くのだが、先生はきょとんとされる。学校では「謝れた!エライ!おしまい!」だからね。だからすぐにみんなまた同じようなことやって怒られるんだよね。うちの子もね。で、自己肯定感下がるの。叱って謝らせる前に、エラーしないやり方を教えて、できたら褒めてくださいな。定着するまで根気よくほめ続けてくださいな。
これが通じる先生はめったにいないけど。






「今だけの辛抱だ」と思ってはいけません。 そう考えると「受験が終わるまでの辛抱だ」「就活が終わるまでの辛抱だ」「新人期間が終わるまでの辛抱だ」「定年までの辛抱だ」とエンドレスに辛抱人生になってしまいます。 今がすべてです。今の苦しみの中に小さな楽しみを見つけましょう。







中学生のとき教室でも部活でも大掛かりなイジメ受けてたことがあり、なんかもうキツくて死にてえなあって親に相談したら、東京に連れて行ってくれたんだよね。出張のついでとか言って。新宿や渋谷の雑踏歩きながら「誰もあなたのこと気に留めない世界がある。田舎を出て世界を見なさい」って。






カンニングの話が出てましたね。フランス語教えている頃、「A4一枚までカンニングペーパー持ち込みあり」で試験してました。みんなA4一枚裏表に微細な文字で教科書の重要個所を写してきてました。試験よりカンニングペーパー作りの方がフランス語の勉強になるのでとっても教育的でした。




『図書館で借りてきた本を読んで、俺に内容を説明して面白かったら、一冊に付き100円お小遣いにプラスする』というルールを作ってから、双子たちがじゃかすか本を読まようになり、二人共国語の成績がクラストップになった(四年生一学期)




子どもにいきなり読書感想文を書かせるのではなく「本を読んで、本屋さんになったつもりで、その本をお客さんに薦めるPOPを作る宿題」とかどうかなと思う。子どもってお店屋さんごっこが好きだし、原稿用紙の升目を埋めるよりは楽しく書けるのでは。





こないだ奢りにきた学校の先生が「保護者は子供の教育をなんでも漫画やゲームなどに責任転嫁しようとする」「でも、最も子供が長く見ているのは漫画でもゲームでもなくて親」「見るものに影響されるのが事実なら親の責任」「親が変わらないと子供は変わらない」などと言っていて、本質情報だ、などと、





アメリカの子どもたちは、"good loser"になる、ということを教えられる。能力的に負け知らずの子どもには、先生がわざと負ける機会をつくってやる。これがほんとのエリート教育だと思う。






日本で「失敗したら反省しなさい」って言われたとき、たいていの人が求める「反省」って「失敗の原因を改善すること」じゃなくて「失敗して落ち込んでる様子を他の人に見てもらうこと」だったりするから困る。







会員氏から聞いたんだけど、最近の小だか中学校には「体動かすだけ部」みたいなのがあるらしい。部活必須の校則でどこかに入らなきゃいけないけど、勉強のリソースを割いたり怪我したり上下関係に悩んだりするのが嫌な子のために、ストレッチして運動して汗流して終わりという部活。すごいいいと思う。








「すべての物語は人を救うためにあります。悲劇も喜劇も、傑作もそれ以外も、人間の心を救うために生まれる。例外はありません。何から救うのかといったら、孤独からですよ。孤独は闇です。言葉ができた時から我々は物語と生きてる。物語は光です」 先生に昔言われたことを本を読むたび実感する。





頭の良くない人って、テキスト読ませると「書いてないことを読み上げる」んだよね。てにをは、接続詞、助詞など細かいところまで丁寧に拾って読めないの。雰囲気で読んでるの。だから私は家庭教師や塾講師、知人の子の勉強を見る時はまず一番最初に「教科書声に出して読んでみて」って学力チェックする





院生のとき脳科学の先生が「幼い頃にぼーっとしたり、遊んだり、親に優しくしてもらうことは土地を拡げることに似てる。逆に勉強とか知識を詰め込んだりすることは建物をたてることに似てる、建物は高くはなるけど、土地が拡がってないから他の建物が建たなくなる」って言ってたことを思い出してる。






家庭教師時代、読解力の低い子供の家には「難しい本」しか置かれておらず、読解力の高い子供の家はたくさん漫画があったのを思い出した。簡単で読みやすい本が沢山ある環境でこそ読解力は伸びるんだけど、親がそれを知らないと子供のために難しい本しか買い与えなくなる。根本にあるのは親の学力格差。






1度で聞き漏らした子が「もう一度教えてください」と言いに行く訓練をする場が、学校だと私は思います。 少なくとも次男含む子どもたちには、義務教育は練習の場だからたくさん失敗していい、それをリカバリーする方法を訓練する場だ、と話しているし、先生方にもお手数ですがお願いしています。





学生の頃「出世払いだ」と言ってくれた先生に「でも僕、先生がお元気なうちに出世する保証はないですよ」と答えたときのこと。 「何言ってんだい。出世払いってのは、俺に返すことじゃねえよ。俺がいま君にしているように、若者に腹いっぱい食わすことだよ」って言って貰ったことは忘れられないなあ。





東大卒のガチ勢からもらったアドバイス、送ります。 「感情や文章読解が苦手な子は、興味あるアニメでもなんでもいいからストーリーものを見せる。どんな話だったか質問する」を続けると、コミュニケーションが言葉で成り立つことを知ることが大事。ポケモンドラえもんで良いのだ。とのことです。





本当にちょっとしたことなんだけど、昔、家庭教師のバイト経験から、子の勉強を教えるときに少しだけ聞き方を工夫している。 それは 「どこがわからないの?」 ではなく 「どこまでわかってる?」 と聞くこと。 親も理解度を正しく把握できて 子も怒られたと勘違いしない。 うちの子にはこれがきく。







高校生のとき、ある先生が私語をしている生徒に対して「おい、孤独と不安に耐えろ!」と独特な叱り方をしたことがあって、当時はそれが可笑しくて仕方なかったのだが、今になってその言葉の重みを噛みしめている。







子供同士で注意させ合うのは、良さそうに見えて、結構悪手。ベテランの先生がそういう指導をしているけど、、。 一年目の時にそれで失敗しましたね。普通にクラスの雰囲気が悪くなるし、注意にかこつけて自分を正当化したり。 こういうところから、正義感の暴力が身に付いていくんだろうと思いました。








『授業中に下ネタを言えることが破天荒で面白い』と勘違いして自分に酔っている教員もいたりしますが、その裏では『あの先生の下ネタが不快だから止めさせてほしい』と相談を受けたりします。ほとんどの場合、下ネタは女子生徒に大不評ですし、下ネタでしか盛り上げられないのは実力不足の証拠かと。






自分が会った人で一番頭が良い人は大学大学院時代の恩師なんだけど、彼は最初に「まず調べなさい、自分が思いつくことは大抵他の賢い人が考えているのだから、そうした知見を自分のデータベースだと思って調べなさい」と言ってくれて、これは自分が受けた教育の中で一番大事なものの一つだと思っている






「多数決イコール民主主義じゃない」っていうのは中学で習った。「例えば誰もやりたがらない教室の掃除、これをAさんに毎日やってもらいましょう。賛成の人手を上げて〜。というのは民主的ですか?」という教師からの問いかけがあった。ほ、ほんとだ!ってなったからよく覚えてる。
中学の時点で、「決を取っても仕方がないようなことではないか?決を採る方法としてこの場合多数決は適当か?を考えてからやりなさい」と教わった人ってどのくらいいるんだろうか。わたしは幸運だったかもしれない。






30歳超えて通信で社会福祉士資格を取った際、2週間の実習を児童養護施設で行った。ちょうどこの季節で、就学前クラスで見た七夕の短冊を今も忘れられない。 「パパのおしごとみつかりますように」 入所理由の8割が親の虐待。そんな親でも幼児は親を案じ、それを自分の夢や欲しいものとして綴っていた。







次男小4が私に嘘をついたのを旦那が見破り「ママは騙されやすいんじゃない、お前を信じてるから疑わないんだ。ちゃんと謝りなさい」と言ってくれたのよかった。






小学生の時先生から「なにかを話す前に『本当にそれを言っていいか』考える瞬間を作りなさい」と言われた事がある。大人になり、太った人を見て「太ったなー」と言う人や、感情のまま相手を罵倒する人を見かけるたび、全ての人にこの感覚を持ってもらいたいなと思う。思っても言わなくていい事はある。







中2の時、どうしてもPCが欲しくて「学年5番以内に入ったらPC買ってくれ」と言ったら親からOK出た。それまで30番以内しか入ったことなかったけど頑張ったら5番になり、親に買ってと言ったらなぜか自転車買ってくれた。あれ以来親は信用しなくなったし勉強も頑張らなくなった。約束守るって本当に大切















「『何を考えるのか』ではなく、
『どのようにして考えるのか』
を子供たちに学ばせるべきです」
(マーガレット・ミード)


なんしか、カッコいい大人になろう。