「Do(する)」って
本来、自発的な行為ですよね。
やるのは、「自分」であって、
「他人」ができるわけではない。
私の行動は、私自身が決めるのだ。
私の身体を動かすのは、
私であって、他の誰でもない。
コントロールするのは、あくまで「私」なのだ。
なのに、
「させられた」だとか
「してあげた」だとか
行動に関して、
「他人」を関与させる表現を
してしまうことがあります。
行動に関して、
「他人」が関与してようが
それを呑み、
身体に行動を促すようにしたのは
「私」なのだ。
責任は、私にあるのだ。
そこに他人を関与させることはない。
「した。以上」
これでいいのではないか。
人生の主人公は「私」なのだから。
そこを、時々思い出してほしい。
なんしか、カッコいい大人になろう。
隠し金庫
noteやってます。興味のある方は是非どうぞ。