2016年9月22日木曜日

【読書】人生の教養が身につく名言集

「人生の教養が身につく名言集 / 出口 治明」
を読みました。

色んな視点からの名言の数々が私を奮い立たせました。
名言大好物の私は
自分のためにせっせと書き残すのでありました。




「巨人の肩に乗っているから、遠くを見ることができる」
(ベルナール・ド・シャルトル)
これは、過去の賢い人や、その人たちが残した研究成果などを「巨人」にたとえ、
その力を借りれば、より深く、より遠くまでこの世界を見ることができると述べた言葉です。



古今東西の歴史を読むと、左遷の話が山のように出てきます。
面白いことに、今も残る古典作品の多くは、その左遷されている時にかかれていたりするのです。
マキャベリは田舎で隠遁生活を余儀なくされるのですが、
その時に書いたのが「君主論」なのです。
昼は普段着で野良仕事に励み、
夜になると政府で働いていた当時の正装に身を包み、
執筆に取り組んだと言います。
「これほど優秀な俺を使わないなんて、なぜだ!」という鬱憤を、
見事に「君主論」で晴らしたわけです。
左遷されて時間があったからこそ、
優秀な彼らが十分な時間をとって、後世に残るすばらしい作品が書けたのです。



「風が吹いていないときは、凧は揚がらない」
風が吹いていないときは、何をやってもダメだし、
逆に、風が吹きはじめたら、何をやってもうまくいく。
だから、今は風が吹いていない時期だと思ったら、
ジタバタとムダな抵抗はしないで、淡々と過ごしていく。
ただし、いつ風が吹くかは誰にもわからないので、
風がいつ吹いても全力で走れるよう平素から準備をしておくことが大切です。


私が思うに、「人生を楽しむ」という姿勢は、
すべての人にとっての「いい人生」に共通しているのではないでしょうか。



「『愚痴を言う』『人を妬む』『誰かに評価して欲しいと願う』…、
人生をムダにしたければ、この3つをどうぞ」
(ちきりん)



「人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である」
(小田島 雄志)



今の自分が幸せか不幸かなどは、極論すればどうでもいいのです。
そのようなことをいちいち考えずに、毎日毎日を楽しむ。




「笑いこそ、人間の持つ唯一、かつ強力な武器」
(マーク・トウェイン)



「過ぎてかえらぬ不幸を悔やむのは、さらに不幸を招く近道だ」
(シェイクスピア)


結局のところ、この世には、とんでもない賢い人も、
とんでもない愚かな人もじつはいないのではないでしょうか。
そして、とんでもない悪人も、とんでもない善人もじつはいない。
みんな、そこそこに賢くて、そこそこ愚かで、
そこそこ善良で、そこそこにずる賢い。
要するに、みんなチョボチョボなのです。

自分の思うようにいかないのが人間関係です。
出会いも別れも偶然の要素が非常に大きいと思いますし、
どだい相手の心をこちらがどうこうすることはできません。
「去る者は追わず、来るものは拒まず」で、
川の流れに身を任せて生きるようにしているのです。


コミュニケーション不足が争いの元になるのです。
事前の一言を怠けてしまう。その結果、相手との関係が悪くなる。
人間関係のこじれというものは、
だいたいがこういった些末なところから生じているように思います。
悪意の塊のような人物がいて、「あいつとあいつをケンカさせよう」と奸策して
いざこざが起こるケースなど滅多にないでしょうか。


「言葉」だけで考えてしまって、
現実が見えなくなる思考法を私はよく「国語で考える」と表現しています。
現実をしっかりと捉えるためには、
「国語」ではなく、「算数」で考えることが重要です。
「言葉」だけで考えるのをやめ、「数字」をしっかり見ていくこと。
そこからさまざまな「ファクト」が見えてきます。
そして、その「数字」と「ファクト」を
きちんと「ロジック」でつないでいけば、
適切な答えが自ずと導きだされるのです。

「歴史序説」の中に
「人間は本質的に無知で、獲得という手段を通じて知識を得る」という一文があります。
つまり、「獲得=知る」という能動的な行為をしなければ、
人は知識を持ち、そして増やしていくことはできないのでというのです。

意思決定をより質の高いものにするための要素として
紹介したいのが「三鏡」です。
具体的には、「銅」と「古」と「人」という3つの鏡。
1つ目の「銅」とは「普通の銅鏡」です。2つ目は、「古」、つまり「歴史」です。
3つ目の「人」とは、自分の側にいて、素直に「間違っている」といってくれる人のことです。


山本義隆さんが、とあるインタビューで
「人はなんのために勉強をするのか?」
という問いの答えとして言われたのが
「自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見が表明できるようになるため」
という言葉。

「知識をインプットしなければ、考えることはできない」と述べましたが、
「勉強する」、あるいは「学ぶ」という人間の営為は、
インプットとアウトプットがセットになっているのです。
この2つをせっかく知識をインプットしても、
それはその人にとって血肉にはなりません。
ところでアウトプットとは何か。
その基本は、母語(マザータング)による「言語化」です。

インプットしたら即刻アウトプット(言語化)をする。
これこそが、確実に力がつく一番の方法ではないでしょうか。


いくら「世界を変えたい」と思っても行動しなければ何も変わりません。
頭で考えているだけでは何も変わらない。
人間の歴史を見ると「私が行動しなければ、永遠に世界は変わらない」と、
たくさんの人たちが、1%の可能性に賭けて挑戦してきました。
その中でたまたま1%くらいの人がうまくことを成し遂げて、
この世界を変えてきたのです。それが私らち人間の歴史なのです。


「私のように、教育を受けていない、
孤児院で育った無学な女でも、
まだ1日に1つぐらいの
花の名前を新しく覚えることはできる」
(ココ・シャネル)


人間には学ぶ方法が3つある。それは、人、本、旅の3つです。
生きた人間に会って、その人の話を聞いて学ぶ。
古今東西の本を読んで学ぶ。
世界中のいろいろな現場を自分の足で歩いて学ぶ。
結局、この3つの方法からしか、人は学びようがないのではないでしょうか。


若い人の意見を聞かない年寄りは、必ず失敗をする。
そのような失敗例は歴史上、いくらでもあります。
たとえば、第二次世界大戦(太平洋戦争)における日本海軍の失敗例はその典型です。
当時の海軍には、日露戦争における日本海海戦(1905)での成功体験が根強く残っていました。
そして、海軍の上層部は、いつまでもその成功体験によりかかっていた。
そこで、それから40年近く過ぎて勃発した太平洋戦争でも、
巨大戦艦でアメリカと戦おうとしたのです。
ところが、時代は大きく変わっていた。
当時はすでに飛行機と航空母艦の時代に入っていました。


エドマンド・バークという人がいます。
「保守主義の父」とも呼ばれている人です。
「人間とはそもそも愚かな存在である。
その愚かな人間が頭(理性)だけで考えたことなど、うまくいくはずがない」
と主張します。つまり、フランス革命の掲げる
「自由、平等、友愛」といった理念は
しょせんは愚かな人間が頭で考えたことにすぎません。
そして、バークはフランス革命の行く末を予言しました。
「人間の頭で考えたことはロクなものじゃない」と。
彼が重視したのは「伝統」であり「経験」です。
それは、長い時間をかけて、試行錯誤を繰り返しながら、
今まで生き残ってきた習慣です。
多くの人の手を介して発展してきたものであれば、
完全ではないにしても、決して間違ったものではないでしょう。
彼は、次の言葉を残しています。
「年齢の傲慢さは、許しがたい。若い人に教えを乞うべき」



「イソップ童話」に出てくる言葉に、
「ここがロドス島だ。ここで跳べ」があります(『ほら吹き男』)。
この寓話が教えてくれるのは、
「いくら口ではえらそうなことを言っても、
行動しなければ、なんの意味もない」ということ。



「世界は偉人たちの水準で生きることはできない」
人間にあまり多くを期待しすぎてはいけない。
上に立つ人間が「人間はその程度のものだ」と思っておいたほうが、
集団活動は意外とうまくまわったりするものです。
歴史を見ても、近年100%リーダーに従う集団は、
ヒトラーやスターリンの世界にしか見出すことはできません。



「力強いとは、敵を倒すことではない。
怒って当然というときに自制できる力を持っていること」
(ムハンマド)
長年生きていてつくづく感じるのが、
どんな事柄であれ怒ったら負けだということです。
なぜなら、怒りの感情に心が支配されてしまうと、
ものの見事に判断力が鈍ってしまうからです。
そのような時の言動や行動にロクなものはありません。
といっても、人間誰しも、怒りでカッとなるときはあります。
だからこそ、それをコントロールできる人は強い。


「窮鼠猫を噛む」
(桓寛)
どんな相手であれ、「逃げ道」を作ってやれ。
「相手が謝ったら、それ以上責めない」が基本。



これまで生きてきてつくづく感じるのは、
「人生はタイミング」だということです。
何かを感じたとき、「また、明日にしよう」と、
決断や行動を先延ばしにしてしまえば、
あっという間にチャンスは逃げていってしまいます。
今日という日が明日も同じように続くと思うのは幻想です。
タイミングがほんのちょっとズレただけで、
途端に物事がうまくいかなくなってしまうことも多々あります。


「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
(二宮尊徳)
起業する上で大事なことは2つしかないと考えています。
それは、「強い思い」と、「算数」。
「強い思い」とは、この世の中をよりよくするために、
自分たちが「何をしたいのか」、「何を変えたいのか」ということです。
「算数」とは、収支計算です。



フランスの友人から教えてもらったのが
「カップルがケンカをしたら、星(ミシュランの星つきのレストラン)を食べに行け」
という言葉。
たしかに、おいしいものを食べれば、怒っているのがバカらしくなってきます。
気がつけば楽しく会話をして、仲直りをしている自分たちがいます。
さすが、恋愛大国、フランス。



「還暦を過ぎたら、年賀状と会わせて、毎年遺言状を書こう」
これは、私が最近、よく言っている言葉です。
私がお勧めしているのは、
「自分がどう死にたいのか」を具体的に書くことです。


「金銭は肥料のようなものであって、ばらまかなければ役に立たない」
(フランシス・ベーコン)
「悔いなし。遺産なし」
これが、二十歳くらいからの私の変わらない信条です。
だから、自分が生きているあいだに、悔いなく生きるために、お金は目一杯使う。
それが一番いい人生。それが私のお金に対する考え方です。


「鉄が使用せずして錆び、水がくさり、また寒中に凍るように、
才能も用いずしては損なわれる」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
「使うこと」の大切さについての名言。
使わなければ、どんな才能も損なわれてしまうということ。






「悔いなし。遺産なし」
(出口 治明)


出口さんの本は
【読書】部下を持ったら必ず読む 「任せ方」の教科書 「プレーイング・マネージャー」になってはいけない
も過去に読んでいました。

なんしか、カッコいい大人になろう。