2013年7月26日金曜日

【読書】奇跡の教室

「奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち /伊藤 氏貴」
を読みました。

これは、本当にすごい。
こんな教育法が実際にされていていた事と
実際に実績を残した事実。
たくさんの本をたくさん読むより、1冊の本を深く読むほうがよいという
証明みたいなものでしょうか。

この本を読んで思い出したことがあります。
中学生のころ、
「渋い」という味を食べたことがありませんでした。
「渋い」という味を、
勝手に「苦い」に近い味だみたいな勘違いというか
思い込みがありました。
たまたま、「渋い味」について母親と話していて
僕は「渋い味」が、わかっていないということが判明しました。

母親に連れられて田舎まで
わざわざ「渋柿」を食べに行ったことがあります。
その時の僕の感想は、
「舌の上に消しゴムのカスがあるような味」という
わけわからん感想でした。

「渋いも、わからんのか~(笑)」と
田舎のおじさん、おばさんに笑われた覚えがあります。

でも、この体験は今でも決して忘れることはありません。
そんな、体験の重要さを再認識できた本です。
本当に、勉強になりました。

読んで思うことは、
実際、受けれるものなら、エチ先生の授業を受けたかった。
に、つきます。

またまた、自分のために残しておきます。(本文とちがうところがあったらごめんなさい。)


すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなります。
そういうことを私は教えようとは思っていません。
なんでもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、
どんどん自分で掘り下げていってほしい。

追体験こそが学ぶ興味を引き出す。

駄菓子はねえ、神戸のデパートの地下を回ったり、
仙台の専門店に手紙で問合せたりして
「銀の匙」の当時に近いものを人数分集めたんですよ。
そうやって主人公の見聞や感情を追体験していくというのが、
私の授業のひとつの柱だったんです。

子ども自身が主人公になったような気持ちで読んでいけるのは、
これしかない。
この文庫本を3年かけてやってみよう。
結果がでなかったら責任はとる。
それだけ心に決めてはじめました。

「銀の匙」授業への決断は、
やはり「覚悟」だった。

薄い文庫本に3年を費やす。
生徒の興味で脱線していく授業、
「わからないことは全くない」領域まで、1冊を徹底的に味わい尽くす、
崇高な「遅読」「味読」(スロウ・リーディング)
教師の願い通り、「銀の匙」の世界は、
「幸運な6分の1」の灘校生の、
その後の人生の背骨になっていった。


橋本が学生時代に
短い期間だが、世紀の大辞典の編集作業に関われたことは、
橋本にとって大きな財産となる。
そして、おそらく、この体験こそが
「“なんとなくわかった”で済まさない。徹底的に調べる」という、
エチ先生流を醸造していくことになったのであろう。

最近の調査で、小学生の家庭で、
たとえば、端午の節句にちまきを食べるとか、
冬至の日にゆず湯に入るといった
日本の歳時記を実践している家庭の子は成績がいい、
という結果が出ています。

横道にそれる授業は、年中行事を体験することで
生徒個人の主体的な「気づき」を促し、
そこから知る意欲を引き出していった。

国語はすべての教科書の基本です。“学ぶ力の背骨”なんです。

毎年のように、高校三年生の夏以降に
英語の成績が急に伸びる生徒が何人かいる。
「英語が急激に伸びる子」「伸びない子」の差は何か?
その「伸びしろ」の要因は?
調べてみると、英語の成績が急伸する生徒には、
「国語ができる」もしくは「本が好きである」という明らかな共通点が見つかった。
「壁」を前にしたとき
“なんとかして乗り越えてやろう”と腕まくりするのが
読書量の多い生徒だ。
押してみたり引いてみたり、下から見たり、離れて見たりと、
「壁」をなんとかして「階段」にすることで乗り越えようとするのだ。
この「壁を階段にする力」こそが、
エチ先生が「銀の匙」の子どもたちに授けた果実なのだろう。


中高一貫教育、一教科一教師の持ち上がり担当制という
灘高独自のスタイルは、“6年一貫”で踏襲される。
少年の12歳から18歳の6年間にどんな授業をするのかは、
すべて教師の自由。
そんな完全自由裁量の代償として、教師は生徒の学力を上げる重い責任を
たった一人が背負うというスタイルが、最後に橋本の背中を押した。

「私が今度新入生を担当することになった時点から、教科書を使うことをやめよう。
中学3年間かけて『銀の匙』1冊を読み上げる授業をする」
あえて捨てる。
あえて徹する。
あえて遠回りする。
昭和25年4月、こうして世界でも類を見ない“奇跡の教室”が誕生するのである。


橋本先生のなさった「銀の匙」研究ノートのやり方は、
学生の学習意欲と根気を育てるための授業として、
90年代からアメリカの教育界で広まってきた「ポートフォリオ」という方法の先取りですね。

自分の興味・関心あるものを一定期間にわたって観察し、
ノートやメモに記録した後、
自分で軸を決めてそれを整理し、
まとめるというのが「ポートフォリオ」の方法論です。
対象物への“気づき”の変化を通して自分の成長にも気づいていく、
借り物の知識や仮想現実ではなく、
本当の生徒自身の「心の風景」「自分らしさ」を追及するという
目的があります。
自分自身の文字で書いたもの、まとめたものでなければ身につかない、
という考えがこの方法の基本にあります。

「ポートフォリオ」は、選び、並べる、
つまり編集するプロセスのなかで、意外な組み合わせ、
新たなテーマを発見したりします。
書いたもの、集めたものを編集する作業によって、
過去の自分自身との対話をするわけですから、
自分の個性というものに気づいていきます。

自分の関心の持続できそうなものならなんでもいいんです。
ポイントはキーボードで打ち込むのではなく、
とにかく自分の文字で、手を動かして残すこと。
そして、続けることです。
最低でも半年、自分の興味を定点観測することで、
自分の方向性や新しいテーマ、そ
して何よりいままで知らなかった自分の個性に
出会えるはずです。


スピードが大事なんじゃない。
たとえば、急いで読み進めていったとして、
君たちに何か残ると思いますか?
なんにも残らない。
私の授業は速さを競っているわけではありません。
それよりも、みんなが少しでもひっかかったところ、
関心を持ったところから自分で横道にそれていってほしいと思っています。

どんどん調べていって自分の世界を深めてほしい。
その時間をとって進めているつもりです。
すぐ役立つことは、すぐに役立たなくなります。
そういうことを私は教えようとは思っていません。
なんでもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、
どんどん自分で掘り下げてほしい。

私の授業では、君たちがそのヒントを見つけてくれればいい…。
だから、このプリントには正解を書いてほしいとは思ってないんです。
自分がそのとき、ほんとうに思ったことや言葉を残していけばいい。
そうやって自分で見つけたことは、君たちの一生の財産になります。
そのことは、いつかわかりますから。

橋本が「銀の匙」の真意を、生徒に直接話したのは、昭和37年5月の一回きりである。





「教師の側から知識を授けるよりも、
まず知識をもとめる動機を子どもたちがもつような学校が、真の学校である。」
(デューイ)


なんしか、カッコいい大人になろう。

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