2018年9月13日木曜日

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その24】

自分にとって有益な情報だなぁ
忘れちゃいけないな
たまには思いださないとなぁ
と思うTwitterを個人的に保存してみました。
今回も約100個ほど。
です~。


過去記事

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その20】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その21】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その22】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その23】




オッサンになると、やったことないことをやってみるだけで、他のオッサンをぶっちぎれるので、ある意味イージーなゲーム。


知人に「ネタになる」と思ったら「やる」と言ってた方がいましたね。面白いなと思いました。 ボクは「できるかどうかは置いといて、面白そうなほうを選んでいいよ」と、新しく入ってきた人には言っていますね。ここで大事なのは「自分で理由を見つけて選択すること」だと思っていますから。


義母さんに言われたまんま。「学校で何かあった時真っ先に母親に連絡が来るけど、必ず父親を出すこと。父親を出すだけで対応が全く変わる。父親なんかあんまり学校に足を踏み入れないんだから、少々悪者になってもらったっていい。」と言っていた。義父はウンウン頷いていた。RT

よく聞く「あの人突然上手くなった」は他人から見た印象なんですよね。本人は日々上達の為のパズルのピースを探し続けていて、それらを組み上げる方法を模索し続けています。そして上手く組み上がった時、周囲から「突然上手くなった」と評価されます。でも本人からしたら「突然」じゃないんですよね。


かっこをつけることのコスパの悪さ。自分をさらけ出し、ビジョンを語り、あなたが欲しい、好きな人に好き伝えることのコスパの良さ


「ありがとう」「おめでとう」、そして「ごめんなさい」がしっかり言えるのが素敵な大人、というのが私が尊敬する人の教え。そうあれるように努めたいな、と改めて思う。


足が遅かった頃、中学校の体育教師に短距離苦手な奴が集められたことがあった。 また説教かと思ったところ、フォームを細かくチェックされて全員が1秒以上タイムが縮まり「これが体育だ」と言われた。 あの経験がなければ運動が得意になる日は来なかったと思う。


何回も言うけど「人は10代の頃手に入れられなかったものに一生執着する」がその通り過ぎてキツい


アイデアが思いつかないときは、「いいアイデア」をだそうとしているからで、「駄作をまずは10個くらい考えよう」って発想に切り替えると今度は面白いくらいくだらないアイデアがぽんぽん出てくる。はずみで面白いのがそこから生まれたりする。思考にブレーキをかけないで。


すごすぎる。山里ママに取材したい
「努力して結果が出ると自信になる。努力せず結果が出ると驕りになる。努力せず結果も出ないと後悔が残る。努力して結果が出ないとしても経験が残る。努力をしてその日を迎えたんだったら、何も残らないことはないから行っといで 母」



「多様性」というのは、ほんとうは「わかり合える!わかり合おう!」ではなくて、「わかり合えない!認め合おう!」なんですよね。これができていないひとがかなり多い。「僕にはそれを理解できないが、『あなたがそれを大切にしているということ』は理解します」という考え方がとても大切なんですよ。


「ハーバード大学の研究によれば、人間の幸福度に一番大きな影響を与えるのは、お金や地位ではなく、『幼少期の両親との人間関係』である…」 救いが無い


「なんで勉強しなきゃいけないの?」って小さい時親に聞いたら「誰が本当のことを言っていて、誰が嘘つきなのかわかるようになるため。それがわかれば世界が楽しくなるし、あなた自身の心が豊かになるのよ」って言われたけど、10代の私にこれをさらっと言ううちの親すごいなっていまさら思う


ここ数ヶ月、三歩下がって二歩下がる残念生活が続いているので、①せめてこの程度はやりたいな、ということを紙切れに書いて、②四つに折って、③100均で買った封筒に入れて、④一日一枚引いて、書いてあることをやるガチャを作りました。残念生活人間が作っているのでハードル低いです。ほぼ段差です

成功が地道な努力の積み重ねであるのと同様に、失敗も小さな妥協、油断、甘さの積み重ねだ。「まあいっか」が積み重なると取り返しがつかなくなり失敗に繋がる。成功と失敗の差なんて些細なもんで、君のその何気ない「まあいっか」が成功と失敗を分ける。妥協するな。油断するな。徹底的にやれ。


以前に成功した事例の勝因をいくら積み上げても、かつて失敗した事例の敗因をどれほど避けても、失敗する時は失敗するんですよねー。そういう状況でせめて出来ることって、まずなんでもやってみることなんだよな。やってみて、失敗しても気にしない。そのほうが言うだけでやらない人より圧倒的に強い。


多くの人が勘違いしているけれど、自分の思い描く「理想」って「叶えるもの」ではなくて「目指すもの」なんですよ。日々の選択の中で「理想に近づくことになる選択はどちらか」と考えるためにこそ理想は必要なのであって、理想通りにならないから何をやっても無駄だと思ってのは本末転倒なんです。


自分が密かに人生の「チート技」だと思ってることリスト ・集中作業と単純作業を交互にやるとずっと仕事できる ・毎日5分手をつけるだけでも難しい仕事は進む ・ミスすると実は人から好かれる ・記録するだけで行動の質は上がる ・思考をノートの代わりにブログに書くだけで人が集まってくる


すぐにみんなの名前覚える同期がいたのでコツを聞いてみたら、
「◯◯さんは何されてるんですか?」「◯◯さんのご趣味はなんですか?」ってとにかく名前で呼びかけて会話するようにしてるって言ってて、早速真似したらめちゃくちゃ効果ある。
名前聞いたら忘れないうちにすぐ呼び始めるのがポイント。


上司や先輩と精神的な距離が近いことは長所も短所もありますが、仕事に関して言えば(特に中長期的な観点で見ると)「尊敬されたければ仕事で」、「お互いの特徴をもっと知りたいなら仕事を通して」を徹底したほうが、おおむねよい結果を生む傾向にあるように思います。


「敬語」というのは(きっちり使っている人はみんな知っていることだけど)無闇に近づいてくる人と一定の距離をおける結界魔法だということを、こういう時期に実感しておくとよいのではないでしょうか。


妻氏と婚約をしたときに決めた標語は「喜びは倍に、悲しみは半分に、美味しいものは半分こ」で結婚指輪の裏にも刻んであるのだが、本日妻氏が買ってきたチェリーパイをつまみ上げたところ「これは私の!」と半分こにもしない明確な意思を表明されました。


知り合いに「俺たちより頭がいい人がやってるんだから、完全に任せといて大丈夫なんだよ。なんであんな漫画書く必要がある?」って言われたんですが、その俺たちより超頭いい人たちがデフレなのにお金刷らなかったり、デフレ下で増税やったりしたおかげで20年デフレやってるんすよ日本。


1ヶ月に一度「大切な友人を褒める日」を作っててその日になると 唐突に「いつもありがとう」とか「お前のこういうところ本当に尊敬する」ってラインを送るんだけど、 大体「え??何?急に?」って照れてるから、もうそれだけでご馳走さまですってなる。幸せしかないからオススメ。


偉い人と話してて、すごいザックリと「何が好きですか?」と聞かれて、すごいザックリ!!!と驚きつつ、昔から今に至るまでの好きなものをスラスラーッ!!といっぱい説明できて、えっ!いっぱいある!!そういえばずっと好きなものいっぱいで生きてきたんだった!わはは!!!と思って嬉しかった


田舎の何がヤバいってさ、あそこってコミュニティに属してないと娯楽ひとつまともに楽しめないんだよな。 ゲーセンは「いつものグループ」が占拠してるし、定食屋も飲み屋も「常連」が楽しむ場所だし。 東京はみんなが他人だから、東京が一番他人に優しいって話は本当だなと思う。


家賃が高く広い部屋に引っ越すなどして、一度生活水準を上げてしまうと、後になって「節約したい」と考えて生活水準を落とそうとするときに、ものっすごい苦痛を感じるから、
固定費で毎月お金がかかるものの水準を上げるときは慎重になった方がいい。
人は上がってから下がるときの方が苦痛を感じる。


お父さんが電話で何気なく言った 「困ったらお父さん、悩んだらお母さんだぞ!」 割と名言だと思うし 理想の夫婦だなあと思った✨


後ろの席でおじさんが「日本人てほんと不満ばっかりですよね!」とか言うから政治でも語るのかと思ったら「イタリアのパスタは300年の歴史があるとするじゃないですか!でそれを10分茹でるのが日本人には我慢できなくて3分で茹でられるパスタを開発するんですよ!」って言い出しておもろい


子どもに「短所」はない。ただ「特徴」があるだけ。その「特徴」は、他の子には見られない「長所」でもある。それが短所に見えてしまうのは大人の側が、ある価値基準を持ち、それを子どもに当てはめて評価するから。特徴が短所に見えるのは、価値基準にこだわるから。


受験(勉強)にしても、部活(スポーツ)にしても、まず一番最初に手をつけるところは、「規則正しい生活習慣の確立」なのだね。


国語の先生と話してた事を思い出した。 この時作者は何を思っていたでしょう?何を言いたかったでしょう?って言う問題の大体の正解は「締め切り怖いか遊びたい」だと思うんだって先生に言ったら「せやな。だけど聞きたい事そう言うのじゃないのも読み取れ、それも国語や」と言われ「せやな」となった


ライター駆け出しの頃は、書くのがあまりうまくなかった。にもかかわらず、今、こうしてそれなりにできているのは、「書くことを最後まで諦めなかったから」だと思う。 「クオリティにこだわって文章を中途半端にするよりも、一旦完成させてしまった方が文章力は伸びる」 最近、特に思います


子供のころ、秘密基地をつくって判ったのが、仲間とつくると〈閉じた場〉になり、自身のために独りでつくると〈世界に開いた場〉になること。だから、一人遊びをしている子供を〈閉じている〉と誤解してはいけない。自身のために制作している作家もまた、これと同様である。


クリエイターにとって、悩んだ時の正解は「それは面白いか否か」…この一点なんだよね。メッセージ性とか思想とかモラルとか売れ筋とかではなく、面白いか否か。悩んだ時はそこに戻るのが一番。


鈴鹿(サーキット)でみんなに言ったことは、帰りのお客さんの顔をよく見て商売しろ、ということでした。つまらなそうな顔をして帰ったら、もう二度と来ない。それが商売の鉄則だということです。by藤沢武夫


親しい人を悪く言うのは自分で自分の悪口言ってるようなもん。


電車内で泣き叫んでいる子ども(玩具を買ってもらえなかったらしい)の泣き声に合わせて「おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか」と脳内字幕をあてている


学校でヒップホップ教えるよりも、盆踊りやら、民謡やらやった方がいいと思うんだよ。グローバル化すればするほど、求められるのは、そこにしかないローカルで面白い文化だから。地元の踊り知ってる方が尊敬される。君日本人か、禅を教えてくれ、寿司を作ってくれ、と言われ色々語れたら喜ばれる。


鏡というのはリアル・バーチャルの間みたいなところがあって面白いですよね。お化粧するのも鏡を見ながらするわけで。


昨日の夫婦喧嘩は大きな進歩だった。妻と向き合うにあたり「夫が憎らしいのではなく、あらゆる憎しみをぶつける先として夫が最適」ということと「憎しみの原因を掘り下げていくのでなく発散するのを手伝って欲しい」ていう2点は、自分にとって本当に革命的で画期的な気づきだったし泣ける


この世には2種類の人間がいる。口だけの人間と行動する人間だ。行動する人間は自分の事で忙しいから他人に口出してる暇なんてない。よって、批判や悪口を言う奴らの大半は口だけの人間だ。口だけ達者で行動しない連中に何言われようと関係ねえ。眼中に入れる必要すらない。ほっときゃいい。


1年書けて書こうが12時間で書こうが価値は買う人が決める。我慢や苦労を美徳化すると長時間労働やブラックの発想になる。


昔は「嫌い」は嫌いという感情のまま置いてても良いやと思ってた。でも、折角出会えた物や人のこと少しでも好きになれたら嬉しいし、あんま好きじゃないな苦手だな〜って思うものを物凄く深く調べるようになった。そしたら「嫌い」って感情の半分は「知らない」なんだなと気付いた。まずは知ってからだ


若い頃は「嫌いなものを嫌いだとハッキリ言える俺カッコイイ」でいけるけど年をとると色んなしがらみも増えるので「好きなものだけを言い続ける」ことで嫌いなものを表現する方が面倒臭くなくていいという流れになっていく気がする。


あとなんだろうなぁ、この10年で、やっぱりある程度可能な範囲でいいから自分には正直に生きるべきだよねとは思った。自分の魂に背いた事に対して、一生のうち誰一人その責任を取ってくれる他人は現れない。甘い言葉や慰めはもらえても責任は誰も取らない 自分の魂には背かない方がお得感ある


お金を手にした人間が最も散財するものは子供の頃に手に入らなかったもの


一年経ってようやく気づいたこと。自宅を仕事場にする場合、パジャマやジャージといった楽な装備してると、身体がオフモードになってしまい、ダラけて生産性が下がる。せめてYシャツとGパンにすれば、ダラダラしたりすぐ眠くなる病もなくなって仕事モードになりきれるっていう気づきを得た。


逆説的だが「自分と異なる意見を持つ他人ととことん話し合い、心から納得した上で自分の考えを変えた経験」って真の自尊心を育むんだよな。自分の考えを客観視できない人間はずっと「自分に異論を唱える者は敵」という勘違いの地獄で生きることになる


自尊心とか自己肯定感とは自惚れのことではなく「人生色々あるが、自分はなんとかやっていけるから大丈夫」という確信のこと。「自分は決して誤らない、正しくなければならない」はちっとも大丈夫ではなく、それは強迫観念と言うんである。


「ワンパンでボコボコにするぞ」と謎のヤンキーに絡まれました。 ただ思いました。 ワンパンはボコです。


タクシーの運ちゃんの話。「お客さんってのは「優遇されてる」と思うと機嫌が良くなるんですよ。ほんの少しでいいんです。例えばメーターを倒すのを少し遅らすとか、精算ボタンを少し早く押すとか。料金変わらなくてもいいんです」


子どもは親の背中を見て育つっていうから私が人生を楽しむのはもう最早義務なのだよ。だから週刊少年ジャンプを買い続けるのも温泉に入るのも美味しいものを食べるのも決してやめない。そうこれは人生を楽しんでいる背中を見せるという、私にしかできない仕事なのだ。


お金持ちの言葉で一番すげーなって思ったのが 「金で解決するなら安い」です。 残業代や退職金をケチる経営者が多いけど、そのせいでシャレにならない問題が出てくるときがある(労働局に駆け込まれる、悪い噂をたてられるなど)。でも金を渡しておけばトラブらないなら安いって考え、すごい

長時間労働の恐ろしさは、人生の大事なものが次々と仕事に奪われるところにある。月に100時間残業やってたころは、大親友の結婚式も、彼女とのクリスマスデートも、仕事を理由にどちらも途中で切り上げてしまった。仕事のためならしかたないと本気で考えてたから怖い。責任感の強い人ほど注意です。


長女が、暑いー、のど乾いたー、疲れたーと、ずっと言ってるのを聞いていて少々イライラしたんだけど、長女が0才の時に「何で泣いてるのか教えてよ!」と言っていた願いがかなったのだ。 何が不快か教えてくれるから助かってるのだ。 黙って不機嫌なのが、周りが一番困る。


怒るべき時に怒らないで、時間が経った後に、ああ、あのとき怒るべきだった、反論すべきだったという思いが湧き上がる時がある。その怒りは、自分勝手に何倍にも増幅されている。なぜなら、その怒るべき時に怒れなかった自分のふがいなさも加わっているから。怒るべき時に怒らないと、憎しみに変わる。


これは私の持論みたいなもんなんだけど、どんなジャンルでも「好きなコンテンツが動いている時期」と「自分のお金と時間と体が自由に使える時期」が重なってるのって奇跡みたいなもんだから、楽しめる・応援できるのは決して当たり前のことではないんだよなーと。


いつだったか民俗学をやってる人が「大阪夏の陣にまつわる怪奇現象の報告が急速に減っており、幽霊の寿命はおよそ400年程度と推定される」みたいなことを呟いていたのを思い出した。


「議論しましょう」っていうのが「俺の話聞けよ」「あわよくば同意しろよ」とほぼ同意だってことは20年くらいしか生きてないわたしでも薄々感じてますよ


自分もある程度歳を重ねたわけだけど、その過程で気付いた人生の鉄則。
・人に嘘をつかない
・自分に嘘をつかない
・やりたくないことはやらない
・迷ったら勇気がいる方を選択する
・中傷や暴言をしてくる相手は無条件格下認識でいい
・自分の時々の感情を自覚する
・嫉妬やイライラは体調悪いだけ


ちょっと追加。
・自分を実力以上に見せようとしない
・期待をする事にはデメリットしかない
・観察があらゆる事に対して大切
・大量のインプットなくしてアウトプットなし
・筋肉は百利あって一害なし
・人生における挫折体験はマトリックスの仮想世界からの目覚めに等しい体験である


チビっ子の絵を褒める時の禁句が「上手だね」と聞いた。「わあ美味しそうなケーキ!」「元気なお魚がたくさん泳いでるね」とかいうのがいいらしい。実践すると実年齢の平均より遥か上の年齢域レベルの絵を描く子供が続出するそうだ。しかし、そうやって褒めるのも自分の語彙が貧困でなかなか難しい…


「迷った時は成長できる方を選べ」とか「困難な方を選べ」とか言われると「えぇ…(やだ…」ってなるんだけど、私が昔言われてそれなら取り入れられると思ったのが「迷った時は物語が転がる方を選べ」でしたね。自分の人生、物語が転がって展開する方がおもしろいし。


怒らない人は声を荒らげない代わりに割とカジュアルに見放すので、気をつけないとね。怒る人は「言えば変わる」と期待してるから言うんだけど、怒らない人は「言っても変わらない」と期待してないから一切言わないよ。むしろ「そのままで一生暮らせ」と思ってるよ。


ウチの子が通ってた保育園は、年齢にあった性教育を子供達にも、保護者にもしてくれていたので、すごく頼もしかった。 口、胸、お尻や局部は自分だけが触っていい場所で、お医者さんや家族にも許可なしに触らせてはいけないし、家族や友達のそういうパーソナルな部分は勝手に触ったらいけないと


学校では「苦手なこともがんばれ」と教わるけど、これはもう意味ないんですよ。いま必要なのは、「得意なことをやる」で、みんながそうすると、「苦手なことは誰かに頼む」がしやすくなる。これからは、どれだけ多様な人々と繋がり、どれだけ効率的に「苦手なことは誰かに頼む」をできるかが問われる。


SNS時代においては「言うべきことを言うこと」ももちろん大切だけど、「言うべきでないことを言わないこと」の方が重要だと思う次第。言わなくてもいいことをちゃんと我慢できる人こそがより貴重で重要になっていく。人間は自己顕示欲が強い生き物だけど、「沈黙は金」なのです。


イラッとした時は「カニッカニッ」と手をチョキにしておもむろに横歩きしてみるとすべて馬鹿馬鹿しくなって怒りが収まるってばっちゃが言ってはいないけど誰かがPOSTしてて天才だと思った(←試した)


疲れたから甘い物(炭水化物)が欲しい→エネルギー不足。 すっぱいもの(ビタミン各種)が欲しい→リカバリー低下。 塩!塩!塩!!!→生命維持能力の低下。 という産業医の先生の話がクリティカルに刺さったので塩分求めたくなってる人は速やかに休息を取って欲しい。


昔の話ですが「神は自殺を好まない。薔薇は生に執着する、だから西洋では好まれる。桜は逆だ。散り際に迷いがない。だがイメージや本質の完全理解は私達には難しい。桜に対する独特の感性は君達の特権だと思うよ」と仰った英国一家のお祖父様と新渡戸稲造の引用も交えたその言葉が忘れられずにいます

今年のノーベル平和賞は、自分が特殊な抗体を持つと知って以来、60年間毎週献血し続けて240万人の赤ん坊の命を救ったおじいちゃんでいいんじゃね。どこかの偉い人じゃなく。


失敗が恥ずかしいことではなく、失敗した人を馬鹿にすることが恥ずかしいこと。

空気が読めないって周りから言われても気にしない。これだけは誰にも負けないというものを5年かけても10年かけてもいいから1つものにする。周りが認めて頼ってくるようになる。空気が読めないんだから読もうなんて気は起こさない。自分が周りから本物だ読まれる存在になればいいってことなんだよ。

「あなたの悪口を言う人より『あなたの悪口を言っていたよ』報告してくる人の方があなたに害を与える可能性が高い」という言葉を、人間関係で困ったときいつも思いだす。

歪んだ気付きなんですけど・・・授業動画流しながら絵描くの・・・擬似的に授業中にノートに落書きしてたシチュエーションが再現できてしまってめちゃくちゃ捗ることに・・・気付いてしまった・・・

FMラジオから流れてきた。「よくエコな人たちが『地球を救おう 』とか『地球を守ろう』なんて言ってますが、地球は大丈夫ですね。人類は救わなきゃならないでしょうが、地球は20億年くらいは何もしなくて大丈夫です。」国立天文台副台長の清々しいコメントでした。

「お酒を飲まない」 「煙草を吸わない。禁煙推進派」 「身長170cm以上」 「カリスマ」 「健康志向」 「子供好き」 「最期までやり遂げる根気」 「スイーツ好き」 「彼女に優しい。2人っきりの結婚式を挙げ、最期まで添い遂げる」 理想の彼氏ですか?いいえ、アドルフ・ヒトラーです。

クラファンでお金を集めた高校生に対して、新しい仕組みをなにも理解しようとせずに、「とにかく校則違反だ!」と言っているだけの教師を見ていると、ああ、ほんとうに学ぶことをやめた人間は、教えることもやめなければならないな、と思った。

人は自分の思いこみによって、現実を歪めて受け取ってしまう。 こうした心の作用のことを仏教では「識」と呼びます。 例えば坊主になれば町中から床屋が消える。つまり必要ないから視界に入っても意識から抜け落ちてしまうのです。


必要なのは指を切らない包丁ではない。転ばない自転車ではない。火傷をしない火ではない。墜落しない飛行機ではない。本質の隠蔽は退化と無知と想像力の欠如しかもたらさない。


本当に好きな人同士だったら公園で一日中喋ってるだけでも最高のデートになる。いちいち着飾ってどこかに出掛けたり、ましてやそれをSNSに書いて自慢ばかりするようなら、それ、彼氏彼女じゃない。アクセサリーっていうんだよ。 って教授に言われた。


ホテルで働いていた時、稼働率重視で安くしてたら値段ありきの客が沢山やってきてクレーマー率がマジで異常だった。 稼働率より客単価を上げる方針にしたら全く来なくなり平穏を取り戻したので安さ重視は安い客で間違いないという教訓が今でも生きてる。


12歳息子が「あー小学校でちゃんと勉強すれば良かった、小学校に戻りたい」と言うので「君きっと10年後には『中学生に戻りたい』って言うよ、戻ってきたんだと思いなよ、今、10年後から」と言ったらなんだかえらく感動していて、2ちゃんのコピペだって言い出しにくくなった


なんでもひとりで出来てしまうひとは、「助けられる力」がないんですよ。一方で、ダメなひとは殆どのことがひとりでは出来ないから、「助けられる力」がある。だから、ダメなひとの一番の魅力は、ダメなところなんですよ。人々の「だれかを助けたい欲求」を満たせるのは、ダメなひとだけなんですから。


誰が見ても美しい人に向かって「好みじゃない」とか、見ず知らずの金持ちに「不幸そう」とか発信する人、これは嫉妬でなく認知的不協和。 喉から手が出るほど欲しかったものが自分では絶対に手に入らないと諦めた途端に「手に入らないからキライ」と好みを変化させ、諦める事を正当化する脳のプロセス


わたしはくじ引きをして、ハズレだろうが参加賞のティッシュだろうが当たったけど全く欲しいものじゃなかろうが、わははー楽しかったー!と言うひとでありたい。そういうひとをみるたび、素晴らしいひとだなとおもっています


仕事に自信を失くしてる時は、メイクを少し盛り、パンツスーツを着てヒールを履いて、アクセサリーも忘れず、仕事できる女風の装いにするんだけど、そうすると本当に仕事できるような気がしてメンタルが復調し、パフォーマンスが上がる。単純なものだ。足は疲れる。



「迷った時は成長できる方を選べ」とか「困難な方を選べ」とか言われると「えぇ…(やだ…」ってなるんだけど、私が昔言われてそれなら取り入れられると思ったのが「迷った時は物語が転がる方を選べ」でしたね。自分の人生、物語が転がって展開する方がおもしろいし。


論争している人を見るとついどちらかに肩入れして参加したくなりますが,深呼吸して「フハハハハ……争え……憎しみあえ……貴様ら人間の怒り悲しみが我が力となるのだ……!」と魔王ごっこするとだいぶ気持ちが落ち着きます


「鉄火巻が好き」と「納豆巻きが嫌い。喜んで食べてる人の気が知れない」と言う2つのツイートをすると後者の方がいいねやRTされやすい。なので反応を求めてどんどんとネガなツイートをしがち。でも「鉄火巻が好き」と言い続けてるとリアルで「鉄火巻が好きだったよね」とお土産に貰えたりする


前にも書いたが、長期的に資本収益率は経済成長率を上回るとしたピケティの研究が出た以上、消費税はすぐにでも廃止すべきと思う。でないと、貧富格差がどこまでも拡大し、地上に地獄を作ることになる。


「生きていればいいことがある」「やまない雨はない」みたいなセリフ、一見、温かい励ましの言葉に聞こえるけども、あれ、要は「我慢しろ」って言ってるだけですからね。


人生、ツイッターにも書けないことが起きてからが本番です。


今日はみんなもっと他人に対する期待値が下がれば幸せになれると思ったりした。


勝手に期待する人って勝手にきれるんだよな


「流通する情報量が商品の流通量を上回ったとき、はじめてブランド化がはじまる」
っていう話、すごく納得感あった。
たしかに同じカジュアル衣料でも、ユニクロは商品量以上に広告とかSNSで見る機会が多いから、想起する時間が増えてそれがブランドに繋がっているのかもしれない。


『それは正論だけど』とか『それは綺麗事だね』とかいうけどよ、だからなんだってんだ。今社会で現役で生きてるオレたちが理想を目指して頑張らねえでどうすんだよ。。これから社会に出る若い人たちがオレたちを観て『なんて楽しそうなんだ、あんな人生を送りたい』と思えるように日本を変えようぜ。。


そう。私たちは、怒りがある種の麻薬的娯楽であることに気づいた方がよい。
そこから何かを変える行動が生まれればよいけれど、怒りを消費するだけで終われば人生の時間を無駄にしていることに気づいた方がよい。
怒りは、楽しい。この楽しさは、ヤバイ。


非正規に新人教育任せる馬鹿企業にいたけど、「わからない事は聞いて」って言うとみんな遠慮するから「面倒くさいを発見したら言って!解決技を自慢するから!」みたいな事を言ってたら皆どんどん言ってくるし、自慢し合いで相手が知ってたら負けみたいなゲームになって新人元気に発言してくれてたよ。


心の調子が少しでも悪くなった人は、騙されたと思ってぜひ日帰り温泉に行ってほしい。温泉入って、美味しいもの食べて、休憩スペースでうたた寝して、また温泉入って、お土産買って帰る。これだけで想像以上に精神HPが回復する。意外と若い人も多いしそんなに高くないから、今すぐ予約しよう。


今日救急隊員の人とお話する機会があり、こんな話を聞きました!
救急車を呼ぶ為に119番に電話する時は病状・症状からではなく、「住所」から伝えること。
住所が特定できた時点で救急車は現場に向かいます。
症状はその後ゆっくり話せます。
皆知ってるかもだけど、シェアするね!!


病みツイート、暗いツイートはしちゃダメみたいなのをみたので言っときたいのですが、言葉にすることで楽になるという『カタルシス効果』というものがあります。呟くと心理学的には少し楽になるのでさせてあげてください。しないと逆に辛くて潰れてしまいます。


カタルシス効果、別名がかっこいいです。
『心の浄化作用』


歴史の授業を受ける皆さんへ
テストに、○○年は何世紀?って問題が出てきます。
1600年って16世紀?17世紀?
実は簡単に見極める方法があるのです。
1600円は100円玉16枚で買えるから
1600年は16世紀です。
1601円は100円玉17枚で買えるから
1601年は17世紀です。
みんなに知って楽してほしい。






クリネックス ティシュー 至高 極(きわみ) 4枚重ね!!!!



クリネックス ティシュー 至高 3枚重ね!!!



ネピア 大人の鼻セレブ ティシュ!!




セレブな超高級トイレットロール!


なんしか、カッコいい大人になろう。


<過去記事>
【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その1】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その2】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その3】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その4】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その5】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その6】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その7】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その8】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その9】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その10】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その11】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その12】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その13】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その14】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その15】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その16】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その17】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その18】

【コピペ】有益なTwitterなので保存します【その19】