2019年8月8日木曜日

【読書】貞観政要

「貞観政要 / 呉 兢」
を読みました。


貞観政要(じょうがんせいよう)と読みます。
多くの、経営者やリーダーが座右の書として
ことあるごとに出ていたこの書籍。

鎌倉時代の北条氏、江戸時代の徳川家、
そして歴代の天皇が帝王学の教科書として手にとったという書物。
前から気になっていましたが、
なかなか、漢文とか出てくると思うと手が延びませんでしたが、
ようやく、読めました。
これは、良書ですね。
当たり前のことばかりといえばそれまでですが
この当たり前のことができてないですよ。
そういう視点で見れば耳が痛いことばかりです(笑)


名君の条件は、
わが身を正すこと。
臣下の諌言をよく聞き入れること。
に要約されるのかも知れません。

いつものように、簡単に自分のために残しておきます。






「君主が姿勢を正しているのに、
国が乱れたことはいまだかつてありません」




「明君と暗君のちがいはどこにあるのか」

「明君の明君たるゆえんは
広く臣下の進言に耳を傾けることであります。
また、暗君の暗君たるゆえんは、
お気に入りの臣下のことばしか信じないことであります」




安きに居りて危うきを思う。
国が安泰なときこそ
心を引き締めて政治にあたらなければなりません」


「時々、法令違反に気づくことがある。
この程度のことは小事だとして、
あえて見逃しているのであろうが、
およそ天下の大事はすべて
小事に起因しているのである」





「そもそも国を治めるのは、木を植えるようなもの。
木というのは、根や幹さえしっかりしていれば、
枝葉は自然に繁茂する。
それと同じように、上に立つ君主が身を慎めば、
人民の生活もおのずから安定するはずではないか」




奢侈に走るのは滅亡を招く元であります。
漆器ですめばまだよいですが、やがて金で食器をつくるようになり、
いずれは金であきたりなくなって玉で食器をつくることになります。
ですから臣下は、初期の段階で苦言を呈するのです。
末期症状を示すようになれば、あえて諌めたりはしません」




我が国の王は、善を喜び悪を憎むお方でした。
それで滅びたのでございます
「善を喜びながらそれを用いようとはしませんでした。
悪を憎みながら、それを退けることができませんでした。
それが滅びた原因でございます」




「周も秦も、天下を手中に収めたのは当初は同じであったが、
それから後が違っていた。
周はひたすら善を行い、徳を積み重ねた。
それが八百年の長きにわたって存続した理由である。
ところが秦は、贅沢三昧にふけり、刑罰をもって民に臨んだ結果、
わずか二代で滅びた」





礼をつくして相手に仕え、謹んで教えを受ける。
これなら自分より百倍すぐれた人材がまいります。
相手に敬意を表し、その意見にじっと耳を傾ける。
これならば、自分よりも十倍もすぐれた人材が集まってきます。
相手と対等にふるまう。
これでは自分と似たり寄ったりの人間しか集まってきません。
床几にもたれ、杖を握って横目で指示をする。
これでは小役人しか集まりません。
頭ごなしにどなりつけ叱りとばす。
これではもはや下僕のようなものしか集まってきません



「たしかに范・中行に仕えたことは仕えたが、
待遇は十人並みだった。だから十人並みに報いたまでだ。
だが智伯は、国士として遇してくれた。
だからわたしも国士として報いるのだ




昔、聖天子の舜が禹を後継者に推したとき、
そなたは自分の能力や功績を
鼻にかけず謙虚に振る舞っているので、
そなたと能力や功績を競う者は誰もいない」と語っているし、
『易経』にも「驕慢を憎んで謙虚を好むのが人の道だ」とある。




「古人がこう言っている、
「林にすむ鳥は、高い木を探して、そのまた梢に巣をつくる。
水にすむ魚は、深い淵を求めて、そのまた岩かげに穴をつくる。
それでも人手にかかるのは、餌を貪るからだ」と。

さてそちたちは、君主であるわたしの委任を受けて国政を担当し、
高位高禄を食んでいるが、なによりもまず忠誠を旨とし、
公正、清廉であってほしい。さすれば、身に禍いを招くこともなく、
末永くく富貴を保つことができるであろう。

古人はまた、
「幸、不幸は決まった門があって入ってくるわけではない。
みな人が招き寄せるのだ」とも語っている。
わが身を不幸におとしいれるのは、利益を貪ろうとするからである。
それはまったく餌を貪って人手にかかるの鳥や魚と異ならない。
どうか、常に古人のこのことばを思い出して自戒してほしい」



「陛下は今、何事につけ気を引き締めて倹約を旨とし、
子孫のよき手本とならねばならぬ立場にあります。
陛下がもし足るを知って奢侈を戒めれば、
これから先、子孫もそれを見習いましょう。
もし足ることを忘れて奢侈に走るようなことがあれば、
今日に万倍する贅沢をしても、あき足らなくなりますぞ」





「自分のために計らっていることがちらとでも見えると、
人は去っていくよ」
トップの条件とは、煎じ詰めると
「無私」に行き着くのだという。








「明君とは
自己犠牲以外のなにものでもない。
だからこんな割りの悪い職業は
ないのだ」
(黄宋羲 明末の思想家)

なんしか、カッコいい大人になろう。