2020年9月10日木曜日

【マイ・ルール】「優しさ」ってのは2番目でなきゃいけないもの

「優しくあるべき」これに異論はありません。

かくいう 私も、優しい男でありたいです。

でもね、
「優しい」ってものを
自分の「売り」にしてはいけない。

「優しさ」それは、「付属品」であるべきなんです。
「優しさ」がメインを張るような「売り」であってはいけない。




自分の「売り」は、他に持っておかなくてはいけない。

その「別の売り」に加え「優しい」という「付属品」があって
はじめて魅力が増すもんなんだと思うわけです。


優しいだけの男ではいけないんです。

強い上にしかも、優しい男。
そんな男でありたいわけです。

時々、
ひょっとして、私の「優しさ」ってのは、
他人から見て「利用しやすい」「便利」「無難に過ごした結果」って意味に
言い換えられないか?
って自分自身に自問します。

私の優しさに、「強さ」や「信念」があるのか?
ともね。


優しいは2番目じゃないとといけない。
1番の売りにしてはいけない。
優しいは売りにするもんじゃない。
ここは、間違えてはいけないし、
こだわらなくてはいけない。
だから、時々思い出しては自問自答するわけです。

だってね、カッコいい大人になりたいから。



Mr.Children詩集「優しい歌」


「耳が聞こえなくても『聞こえる』ことばであり、
目が見えなくても『見える』ことば、
それが『優しさ』というもの。」
(マーク・トウェイン)

なんしか、カッコいい大人になろう。