2013年12月18日水曜日

【読書】ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

「ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく / 堀江 貴文」
を読みました。

実は、初め手に入れた「サイン本」がこの本です。
なんだかうれしかったです~。

感想としましては、
一言で言うと
「この本は、熱いです。」
実際、そんなに期待せずに買ったのですが、
僕の読んだ今年のベスト10には軽く入ります。

正直言って、
ホリエモンという人物の見方がガラリと変わりました。
熱い人です。そして、僕も熱くなっちゃいました。

この熱い気持ちを自分のために残しておきます。(本文多少の訂正・加筆しています。)
 

人が新しい一歩を踏み出そうとするとき、次へのステップに進もうとするとき、
そのスタートラインにおいては、誰もが等しくゼロなのだ。
つまり、「掛け算の答え」を求めているあなたはいま、「ゼロ」なのである。

そしてゼロになにを掛けたところで、ゼロのままだ。
物事の出発点は「掛け算」ではなく、必ず「足し算」でなければならない。
まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。
小さく地道な一歩を踏み出す。
本当の成功とは、そこからはじまるのだ。


実際僕は、どんなに追い込まれても毎日10時間の睡眠を確保するようにしていたほどだ。
要は起きている14時間をすべて―これは食事や風呂も含めて―勉強に充てればいいのである。

歯を食いしばって努力したところで大した成果は得られない。
努力するのではなく、その作業に「ハマる」こと。
なにもかも忘れるくらいに没頭すること。

結局これは「自信」の問題なのだ。
自信を形成するための「経験」が、圧倒的に不足していたのだ。

経験とは、時間が与えてくれるものではない。
だらだらと無駄な時間を過ごしたところで、なんの経験も得られない。

経験とは、経過した時間ではなく、
自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていくのである。

やってみるのか、断るのか。
あらゆる人の一生とは、こうした小さな選択の積み重ねによって決まってくる。

違う!僕はこんな人生を送るために東京に出てきたわけじゃない。
いますぐ変わらなきゃいけない。このままでは、一生「このまま」だ。

多くのビジネスマンは、自らの「労働」をお金に換えているのではなく、
そこに費やす「時間」をお金に換えているのだ。

お金とは「もらうもの」ではなく、「稼ぐもの」である。
給料を「もらう」時代は、もう終わった。
すなわち「稼ぐが勝ち」、なのだ―と。

人生が豊かになっていかない根本原因は、なによりも「時間」だ。

ここで大切なのは順番だ。
人は「仕事が好きだから、営業に没頭する」のではない。
順番は逆で、「営業に没頭したから、仕事が好きになる」のだ。
心の中に「好き」の感情が芽生えてくる前には、必ず「没頭」という忘我がある。
つまり、仕事が嫌いだと思っている人は、ただの経験不足なのだ。
そこまでのめり込んだことがない、それだけの話なのである。

じゃあ、どうすれば没頭することができるのか?
僕の経験から言えるのは、
「自分の手でルールをつくる」ことである。
ルールづくりのポイントは、とにかく「遠くを見ないこと」に尽きる。
受験の場合も、東大合格といった「将来の大目標」を意識し続けるのではなく、
まずは「1日2ページ」というノルマを自分に課し、
来る日も来る日も「今日の目標」を達成することだけを考える。

「今日という1日」にギリギリ達成可能なレベルの目標を掲げ、
今日の目標に向かって猛ダッシュしていくのである。


10の信用があれば、100のお金を集めることができる。
けれども、100のお金を使っても10の信用を買うことはできない。
ほんとうに困ったとき、人生の崖っぷちに追い込まれたとき、
失敗してゼロに戻ったとき、あなたを救ってくれるのはお金ではなく、信用なのだ。

ハッタリをかますこと、背伸びをすることは、決して悪いことじゃない。
他者からの信用を獲得していくために、絶対に乗り越えなければならないハードルなのだ。

掛け算を覚える前に、足し算を覚えよう。
他者の力を利用する前に、自分の地力を底上げしよう。


僕からのアドバイスはひとつ、「全部やれ!」だ。
ストイックにひとつの道を極める必要なんてない。やりたいことは全部やる。

なぜなら、人は「ここでいいや」と満足してしまった瞬間、思考停止に突入してしまうのだ。
そして思考を停止した人は、一気にオヤジ化してしまう。
酒を飲めば「あのころはよかった」と思い出話をくり返し、若い世代の頭を押さえつける。
僕は絶対にそんな人間にはなりたくないし、できればあなたにもそうなってほしくない。
人生のどの段階においても「いま」がいちばん楽しく、充実している自分でありたい。
だからこそ、「全部やれ!」なのである。

僕はこれからも自分をオヤジ化させないため、
退屈でつまらない人間に成り下がらないため、
全力で働いていく。

すべてに全力を尽くす。
絶対に「ここでいいや」と満足しない。
なにがあっても、いくつになっても「あのころはよかった」とは口にしない。
心から「いま」がいちばん楽しいと言えるように生きていく。

シンプル・イズ・ベスト。
僕の信条とも言える言葉だ。
ひとつの熟慮よりも三つの即決。
「悩む」と「考える」の間には、決定的な違いがある。
「悩む」とは、物事を複雑にしていく行為だ。
一方の「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為である。
物事をシンプルに考え、原理原則に従うこと。理性の声に耳を傾けること。
シンプルだったはずの課題を複雑にしているのは、
あなたの心であり、揺れ動く感情である。
僕は前を向くため、一歩を踏み出すため、そして迷いを捨てて働くため、
シンプルな決断を繰り返してきた。

「諸行無常」これは世の中の真理だ。
物事は流転する。
現状維持などありえない。僕は変わり、変わらざるをえない。
僕を取り囲む環境もまた、変わっていく。
なにを得ようと、なにを失おうと、未練など生まれるはずもないのだ。

成功したければ挑戦すること。
挑戦して、全力で走り抜けること。

たとえば、経団連の参加条項として
「会合やパーティーではタキシードを着用すること」と書かれていたとしよう。
それだったら、僕はなんの問題もなくタキシードを着る。
明文化されたルール(コモンロー)に従うことに抵抗はない。
一方、「仕事ではスーツを着ること」や「偉い人と会うときにはネクタイを締めること」といった話は、
どこにも明文化されたものではない。
ただの習慣であり、空気であり、いい加減な常識(コモンセンス)だ。
スーツやネクタイが好きなら別だが、嫌いだったら従う合理的な理由はない。


おそらく、子ども時代のほうが楽しかったという人たちは、
「責任」の話をしているのだと思う。たしかに子どもは、責任を問われない。
しかし、責任が発生しないうちは、ほんとうの意味での自由も得られないのだ。
無邪気に見える子どもたちは、圧倒的に不自由なのだ。
僕の結論はこうだ。
自由と責任は、必ずセットになっている。
責任を自分で背負うからからこそ、自由でいられるのだ。
子ども時代を懐かしんでいる人は、責任の重みに耐えきれなくなっているだけだ。
でも、ほんとうの自由を手に入れれば、人生はうんと楽しくなる。

失敗なんか恐れる必要はない。
僕らにできる失敗なんて、たかがしれている。

僕の結論ははっきりしている。
ネガティブなことを考える人は、ヒマなのだ。
ヒマがあるから、そんなどうでもいいことを考えるのだ。
もし、あなたがポジティブになりたいというのなら、
やるべきことはシンプルである。
うじうじ悩んでないで、働けばいい。

時間とは、「命そのもの」
時間だけは誰にも増やすことができない。
まさしく有限の「命そのもの」であり、タイム・イズ・ライフなのである。

だからこそ、
僕らは「自分の時間」を生きるのか、
それとも「他人の時間」を生かされるのか、を常に意識化しておく必要がある。

僕らの人生には「いま」しか存在しない。
過去を振り返っても事態は変わらず、未来に怯えても先へは進めない。
かけがえのない「いま」に全力を尽くすこと。脇目も振らず集中すること。
将来の自分とは、その積み重ねによって形成されていく。

僕は未来を信じている。
昨日よりも今日の世界が、今日よりも明日の世界がよくなると、本気で信じている。
それは僕がテクノロジーの力を信じているからだ。

成功者をバッシングするのか、それとも称賛するのか。
これは「嫉妬心」と「向上心」の分かれ道であり、
ゼロをイチを足せるかどうかの試金石である。

人の気持ちなんて、究極的にはわからないものなのだ。
そしてわからないからこそ、僕は信じる。
仲間を信じるからこそ、僕は全力で働くことができる。

僕は、みんなとつながり、みんなと笑顔を分かち合いたい。

僕の目に映る未来は明るい。
それは、ひとえに自分を信じ仲間を信じているからだ。

さあ、僕の話はもうたくさんだ。
あなた自身の「ゼロからイチ」を見せてほしい。
自分の人生を動かすことができるのは、あなただけなのだ。





「行動はいつも幸せをもたらすものではないが、
行動なくして幸せはない。」
(ディズレーリ)


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