2014年12月11日木曜日

【読書】人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―― スペイン サン・セバスチャンの奇跡

「人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―― スペイン サン・セバスチャンの奇跡 / 高城 剛 」
をよみました。

著者のことはよく知らないにもかかわらず、
どうしても元奥さんのイメージが先入してして
あまり読もうという気になれなかったのですが
いざ、友人に勧められて読んでみると
これがどうして、なかなか鋭い視点でをお持ちで
正解、不正解といったことでない自論を持つという
姿勢が非常に参考になりました。

なにより、スペインに行きたくなりました。
(いつもの通り、気になった部分を自分のために残しておきます。)

  ↓以前の記事です。
【これは】スペインに行きたくなるッ!!【すごい】


人口わずか18万人の小さな街サン・セバスチャン。
スペイン・バスク自治州にあるこの街を目指して、
今世界中の美食家が集まっています。
というのも、この小さな街に、
ミシュランの三つ星レストランが三店、
二つ星レストランが二店、一つ星レストランが四店もあるからです。
世界のトップ10レストランのうち二軒(ムガリッツ、アルサック)が
この街にあるのです。

このサン・セバスチャンが世界に誇る美食の街となったのは、
わずかここ10年ちょっとの話です。

そこで90年代にはじまったのが

「ヌエバ・コッシーナ(あたらしい食)」と呼ばれる食の運動でした。

21世紀における最大の産業は「観光産業」です。

観光先進国 スペイン
訪れる外国人の数は、
フランス、アメリカについで世界第三位。
2001年時点の統計で、
スペインを訪れた観光客4800万人は、国の人口4000万人より多い。

10年ほど前から(EU統合以降)不動産価格が高騰し、バブルになり、
リーマンショック時に、この観光不動産バブルが崩壊し
スペインやギリシャなどの南欧諸国は、国家財政破綻に直面しました。

不動産バブルに引っ張られた
国家システムの問題(かつて、日本も通った道です)で 、
その要因の一つが、このEU統合以降に起きた、
北からの民族大移動による観光不動産バブルなのも明らかなのです。


スペイン地方自治はどのように生まれたか

地方自治には、歴史的背景があります。
長い間、王政だったスペインは、1930年代の市民戦争を経て、
フランコ将軍の圧政が1975年まで続きます。
フランコ将軍は、第二次世界大戦に参戦することなく、
他のヨーロッパ諸国とは別の道を進むことになりました。
それは、事実上の鎖国で中央集権化でした。
当時のフランコ政権は地方の独自文化を一切認めず、
すべて中央政府がコントロールする形で、
官僚主義として画一的な国家運営を長い間続け、国は疲弊しました。



抑圧されたバスク文化の復活

その後1975年11月にフランコ将軍が没すると、
スペインに立憲君主制の時代が訪れます。
王政でもなく官僚主導でもない市民のための開かれた国として、
あたらしいスペインの幕開けとなりました。
この時、本当のグローバル化がはじまりました。
まずは、輸入禁止されていた文化が隣国フランスから続々とやってきました。
80年代に本格的に開かれた国になったスペインは、
「国」より「地域」を重んじました。
それは、フランコ時代の中央集権化の圧政によって
閉ざされていた言語や文化の解放でもあったのです。


一軒のお店が集められる人には限りがあります。
街全体が美味しいと評判になれば、
一軒だけでは集められないほどの人を
その地へ呼び込むことができるでしょうし、
一人では開発できないような料理を出すことができるようになるかもしれません。
オープンマインドの姿勢こそが、
サン・セバスチャンからはじまって、
スペイン料理界を席巻し、
若い優秀なシェフを次々と生み出している最大の秘密なのです。

カタルーニャにある世界一のレストランとなった「エル・ブリ」も
驚くべきことに、毎年新メニューのレシピをすべて公開していました。

「バスク」とは何か
バスクとは何かについては、なかなか一言で説明するのが難しいですが、
地理的には、現在のスペインのバスク自治州及びナバラ自治州、
さらにフランス南西部のピレネー=アトランティック県が該当します。
では、バスク人とは何かといえば「バスク語を話す人」です。
そのバスク人がいる領域が「バスクの地(エウスカレリア)」であるとしているのです。

バスク人たちは、
インド・ヨーロッパ語族がやって来る前から、この地に住んでいました。
彼らが独自性を維持し続けたのは、
ローマ帝国の支配がここまで及ばなかったからだとされています。
歴史的には、ローマから自治を許されたとなっていますが、
実際はローマ帝国がスペインのほぼ全土を侵略した際、
サン・セバスチャン直前の街まで占領できたのに、
この街だけは、バスク人が屈強なため攻め入ることがでなかったと言われています。

余談ですが
関東大震災を機に、江戸前鮨の職人たちは全国に離散し、
江戸前鮨は全国的なものになりました。
そして、日本のバブル経済崩壊とともに、
鮨職人は世界に離散し、鮨は世界的なものになったのです。
食と経済は、実は密接な関係にあります。


お金で手に入らないものを持っているのが「上流」

かつて、僕はロンドンで仕事をしていたときに、
人前で自動車(の所有)が趣味だとは絶対言うな、
と教えを受けたことがあります。
自動車を趣味にすることは、お金を払えば誰にでもできることです。
一方、クラシック音楽や美術、歴史や文学は、
それなりの知識や教養がなければ話すことはできません。
モノやそれにまつわる情報はお金で瞬時に入手できても、
知識や教養はお金を払っても、一朝一夕に身につけることはできません。
欧州のクライアントの多くは、上流階級や知識階級なので、
車が趣味のような下品な話を人前でしたら、
クリエイティブ能力とセンスを疑われる、というものでした。

アメリカ新大陸にコロンブスより先に到着したのが
タラを追いかけて遠くまで漁に出ていたバスク人という話があります。
しかし、バスク人はその新大陸を自らの領土として主張しなかったそうです。
バスク人にとっての生活の地はバスク地方であり、
バスクで充分であり、またバスクを愛しているから必要なかったそうです。

この何百年も続くバスクの考え方が、
今もバスクの有名レストランが他の街に出店しない理由なのだと思います。
バスクで獲れた新鮮な魚や野菜を、バスクまでお越しいただいて食べていただく。
この考えを貫いた結果が、
有名レストランの支店を他には作らない今日の姿勢につながっているのだと思います。


世界を知る。
そのうえで己を知る。身の丈を知る。
古いモノを守り、あたらしいモノを融合させ「いま」を考える。
そして、オープンな姿勢で、多くの者とシェアしてゆく。

この次の時代のヒントを、
世界一の美食の街と言われるバスク地方サン・セバスチャンの食事や、
ここで働く多くの人と触れあってなにより僕は感じます。




ちなみに、フランシスコ・ザビエルもバスク人だそうです~。


「山は山を求めないが、人は人を求める」
(バスクのことわざ)

なんしか、カッコいい大人になろう。








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