2016年3月31日木曜日

【読書】考え方の教室

「考え方の教室 / 齋藤 孝」
を読みました。


「考える」ってなんでしょうね。
難しいですよね。
最近、特にこんなことを考えています。
そんな中、手に取った1冊です。
少し、わかったように感じられました。
大切なところを自分のために残しておきます。



簡単かつ有効な方法は、
ともかく口に出して「簡単だ」と呪文のように唱えてみることです。
これは「思考力を解き放つ」ための、とても重要な準備運動なのです。

「自分だけのベストテン」をつくってみよう
「自分だけのベストテン」には大変な思考がつまっている。
〈考えるとは何か〉を学ぶ、とてもいい練習になります。


まず大事なのは、問題を「解決」しようとするよりもまず「整理」すること。
問題がわかれば、それは幽霊の正体がわかったことと同じです。


キーワードを書きつける
「考えてみてください」というと、たいていの人は上を向いて、
あるいは下を向いて考え込んでしまいます。
それが、「手を動かしてノートに書いてみてください」というと、
急に思考が具体化することがよくあるのです。
やり方として大切なことは、まず、罫線に沿ってきっちり文章として書いていくのではなくて、
キーワードとして書きだしていくこと。


練習しだいで、小学校でも、
「大事なところには赤で、自分がいいと思うところには緑で線を引いてね」と言うと、
だんだんカチカチと切り替えて書くようになるのですね。
脳のなかで客観と主観を切り分けたり、重要度の優先事項を見きわめたりということが、
即座にできるようになる。道具というのはひじょうに重要なもので、
道具があることで思考がクリアになるわけです。


〈考える〉ということは、実践的には「工夫する」ことです。
「工夫」は〈考え方〉を学ぶプロセスのなかで大変重要な言葉で、
工夫することがすべてだと言ってもいいくらいです。

サッカーがなぜあれほど面白いかといえば、
そこに「手を使ってはいけない」という限定があるからです。
限定によって、遊びがより成熟したのです。

何か限定があることでアイディアが生まれやすくなるのです。


私の精神の「先人」は誰?
系譜というのは、私たちが自分自身の精神のあり方を見直そうとするときにも
とても役にたつものです。何か自分の好きな人や好きなものを手がかりに、
その系譜をたどってみます。
するとたいていは、そこに至ったいくつもの源流や、
あるいはそこから発展していった進化形が見えてくる。
そのなかで、自分はどこにいるのだろうと考えることもできるし、
今後の自分の方向性を考える手がかりににもできるわけです。



ひたすら、「なぜ?」と聞いてみよう。



クリエイティブな対話をするために必要な技、
それはほぼ「うまく問いをたてること」に尽きると思います。
その問いによって、今まで見えていなかった問題が見えてくるような質問ができるかどうか、
ということです。



質問することは技であり、力である。


たとえば、「趣味は何ですか」と漠然と聞くよりも、
「好きな作家はいらっしゃいますか」と聞いてみれば、
相手が本好きかどうか、どんなジャンルが好きかもわかります。

あるいは

「食べものは何が好きですか」と聞くよりも、
「最近美味しかったお店はありますか」と聞いてみる。
こうした問いかけを次々に重ねていけば相手も答えやすいので、
会話が途切れなくなります。
実はこの、途切れずに延々会話が続けられるというのは、
大切な〈考え方の訓練〉なのです。

「身体をひらく」ということ
人前で何かを話すとき、一番大切なことは「身体をひらく」ことだと私は考えています。
端的に言うと、「ことば」というのは「からだ」の発露であって、
言葉を発するときには「からだ」が相手にひらかれていないとダメなのだということです。
相手の方に視線を向けて、胸をひらいて、表情、身体ごと相手に向かっていく。
言葉が出ているけれども身体は閉じてしまっている場合は、
声が相手に届かないのです。


大事なことを「ゆっくり」話す
日本語の場合、「抑揚」というのがむずかしい。
声に強弱をつけたり、声の高さを変えたりしても、うまく変化が生じませんでした。
大事なフレーズだけ、ゆっくり読み上げると、急に説得力が増したのです。

話す内容については「欲張らない」ことが大事。
せいぜい2~3個、「必ず伝えたい」ことを決めておき、
小さいメモに箇条書きしておきます。
さらにこのメモもできるだけ見ないで話すのがよいでしょう。
視線はメモではなくて聴衆に向けておかねばならないからです。

言うまでもなく、本物の〈考える力〉というものは、
この「自分が当事者だ」という覚悟の上に初めて生まれてくるものです。
人任せにしない。自分で判断する。
その重みを引き受けてこそ、初めて新しい現実を生み出すことができるのです。

緊張したり、パニックになったり、怒りにとらわれたりしたときに、
深い呼吸によって気持ちを落ち着けることができます。

驚き、感動、興奮が、何よりも〈考える教室〉のベースとなるものだと思います。
「いま自分たちが学んでいるのはすごいことなんだ!」と思えると、
感動や興奮で活性化した状態になる。
そうなると、身体も頭もそれに向かってグッと入り込む、
積極的な「かまえ」ができてくるのです。

「かまえ」というのは教育にとって本当に大切なことで、
かまえが積極的になっていないと何も身につかない一方で、
かまえができた状態をつくることさえできれば、たいていの教育はうまくいくのです。

身体をひらいて、積極的に向かうかまえをつくる。これが「考える」ことの大本です。

どうしようもない窮地に追い込まれて、
そこで初めて自分でつかみとった、
体得したものこそが本当の知である。

〈考える〉という行為の根本には、意欲、エネルギーが必要です。
そしてそれは、何かを本当に「すごい」と思うところから生まれてくる。

人の素晴らしいアイディアを知ったとき、
「こりゃすごい!」と拍手する習慣をおすすめします。
拍手することで「身体のかまえ」が発想向きになるのです。
軽くジャンプするのもおすすめです。
考えに詰まったり、疲れてきたら、軽くジャンプして身体全体を揺さぶる。
これだけで活性化します。
私の授業ではディスカッション前に軽くジャンプしてから、
拍手してハイタッチしてもらいます。
すると上機嫌な身体となり、思考にスピード感が出ます。
思い悩んでいることがあるときは、ひたすら歩きつづけるのもいい。
私はプールで潜水しながら考えるのが好きで、
研究上の考えごとを水の底でよくしています。
〈考え方〉は身体から、です。






「君がもし考えることをせぬ人間であるとすれば、
いったい君はなんのために人間であるのか。」
(コールリッジ)


なんしか、カッコいい大人になろう。