2019年4月4日木曜日

【読書】赤の女王 性とヒトの進化

「赤の女王 性とヒトの進化 / マット・リドレー」
を読みました。

古い本ではありますが、かなりの良書です。
仮説としてや考え方などが非常におもしろいです。
スパッと極論をいう仮説は読んでいても気持ちがよいです。
人間は、やっぱり動物なんだなあと読んでいてつくづく思いました。
我々は文明人で、聞き分けが有って、
節度を持った紳士・淑女の振る舞いをしていますが
これはあくまで、仮の姿で、自分でもわからない部分の方が
非常に強く我々を支配しているんだと思います。

いつものように自分のために残しておきます。






ヒヒの「笑い」は威嚇だが、
人間の「ほほえみ」は、喜びの象徴である。
これは、人間の特性であり、全世界を通じて共通なのだ。


人間の究極の目的は繁殖であり、
その他のすべては、この目的のための手段にすぎない。



生殖能力を備えた祖先たちだけが、
子孫にみずからの特性を伝えてきたのであり、
当然のことながら、我々は不妊者たちの孫ではない。



我々の特性は、
すべて人類の繁殖成功度に貢献するために念入りに選ばれてきたのだ。



禁断の果実、イコール罪、イコールセッ クス。
人間にとってかくも重大な事柄はただ一つしかないからである。
そう、セッ クスである。



男は、危険に身をさらして生きるよう進化してきたのだ。
なぜなら、競争や戦いに勝利を収めることは、その昔は性的征服へとつながり、
その結果、男たちは多くの子どもを残せたからである。


女の体が砂時計形にくびれているのは、男がそれを好むからである。
男が攻撃的な性質を持つのは、女がそれを好むからである。


「むだだ。しょせんクマより速く走るなんてできやしない」
すると哲学者は、こう答えたのだった。
「クマより速く走る必要などないのだ。
ただ、君より速く走らなければならないだけだ」


ある独創的な説によれば、
精子があんなに小さいのは、
バクテリアが入り込んで卵子に感染する余地がないように
するためだという。


「めんどりは、卵が卵を作るための手段にすぎない」
サミュエル・バトラー


生物学者であっても、
セックスとは単に遺伝子を残すための共同作業であることを
忘れることがある。


我々が性衝動を持っているのは、
セックスをしたいという欲求を持つ祖先から受け継がれてきたものだ。
性欲のない者は子孫を残さなかったのである。


オスは
メスの気を引こうと互いに競い、
メスより多くの子孫を残す可能性と、
どの子どもの父親になれない可能性の
両方をあわせもつことになる。


「権力とは究極の催淫剤である」
ヘンリー・キャッシンジャー


セックスと権力の関係には、
長い歴史があるのだ。


男にとって女とは、
彼の遺伝子を次の世代へ運んでくれる乗り物である。
女にとって男とは、
彼女の卵子を胎児に変えてくれる生命物質(精子)の源である。
それぞれの性にとって、異性は利用すべき重要な資源なのだ。


一夫多妻を禁じる法律は、
女性を守るどころか、
男性を守るために機能しているのだ。


人類は一千年近くも都市で暮らし、
一万年近くも農耕に従事してきた。
しかし、これは人類の歴史ではまばたきの一瞬にすぎない。
それに先立つ100万年以上にわたり、
採餌者として生活していたのである。
したがって、
現代的な都市に住む人間の頭蓋骨のなかには、
アフリカのサバンナで小さなグループで
狩猟と採集に従事するようデザインされた脳みそが
詰まっているのである。


我々は、いまだに
自分の知人や名前を聞いたことのある人々に関するゴシップに
絶大な関心を持っている。


狩猟採集が一夫多妻を支えられない理由の一つは、
技量よりも運が、狩猟の成果を大きく左右するからである。
肉の貯蔵もできず、狩猟採集社会では富の貯蓄は不可能であった。


農業の発明とともに、
一部の男性が一夫多妻主義者になる機会が、どっと押しよせた。
余剰を蓄え、その蓄えで他人の労働力を買うことによって、
余剰をさらに増大させることになり、
こきではじめて富を持っていることが、富を得る最上の手段になったのである。

牧畜社会は伝統的に、ほぼ例外なく一夫多妻である。


富には他の利点もあった。
妻を直接買えるだけではない。
「権力」も買えたのである。


人間においては、力の強さと権力には事実上なんの関係もない。
ハンニバルからビル・クリントンに至るまで、
味方の連合をまとめることによって権力を得ているのだ。


ハーレムが存在するかぎり、
他の女たちとは待遇の異なる妻がいる。
これは人間の一夫多妻社会の特徴といえる。
ソロモンにしても愛妾は1000人いたが、妻は一人である。


ところで、
中世の農夫の多くは中年前に結婚できれば幸運で、
密通のチャンスなどめったになかったのである。


法律、宗教、あるいは罰則によって一夫一妻が施行されると、
実際、流血をともなう男同士の競争は減少するらしい。


要するに、人間の男の本性とは、
一夫多妻的なチャンスがめぐってくればそれをとらえ、
セックスという目的を達成する手段として
富、権力、暴力を用いて他の男たちと競い合うというものだ。


既婚者の女性が好んで関係をみつ男性は、
実力のある、年上の、肉体的に魅力をもつ、
バランスのとれた容姿の妻帯者である。
女性は夫が弱虫で、年下で、肉体的な魅力に欠けたり、
アンバランスな容姿の場合に、
情事にふける可能性が非常に大きいらしい。


女性が家の掃除をするのは、
世界中の女性がそうであるように、
どうせ男性はちゃんと掃除をしないだろうと思っているからである。
男性が家の掃除をしないのは、
世界中のどこでもそうであるように、
どうせ掃除をしても、
ちゃんと掃除をしていないと妻が思っているからである。


睾丸を形成する遺伝子、
子宮内でのテストステロンの集中射撃、
思春期のテストステロンの集中射撃、
これら三つのうち一つが欠けても、
あたりまえの男子にはなれない。


大人の女性は、人生の多くを妊娠や授乳に費やし、
その間は、受胎不能であった。
受胎可能になるとすぐにまた妊娠したのだろう。
つまり受胎可能な女性は珍しかったのである。
男性は、図らずも継子を育てることのないように、
ウエストが少しでもふくらんだ女性を避ける性向を発展させたにちがいない。
太いウエストは、妊娠初期の可能性があるからだ。


要するに、我々は、パートナーに若い女性を選び、
他の男性よりも地上に大勢の息子や娘を残した男たちの子孫なのだ。


「顔は体のなかで最も情報が密集した部分だ」
ドン・サイモンズ


「肉体的な特性よりも、ステータスと経済的な成功が、
男性の魅力を推し計る最適なバロメーターだと言えるだろう」
ブルース・エリス


探検家は現地ガイドに尋ねる。「あれは何?」。
ガイドは答える。「カンガルー」。
現地語では「知りません」という意味だ。


意識は「知る必要」をポリシーに機能しているのだ。

「人は他人に報告可能な物事は意識し、
報告不可能な物事は意識していない。
私はこのルールの例外を一つとして思いつかない。」


リズミカルなメロディーを聞きたいという欲求、
ジョークで笑いたいと思う欲求は、
明らかに生得的に発達するものだ。


音楽の創造力を備えた若者は、
いやが上にも性的魅力がある。人間の普遍的特性なのだ。


我々は、犬や牛と同じくらいに、
いや、それ以上に家畜化されているというのは事実である。
我々は更新世には我々の性質だったであろう本能のあらゆるものを、
取り除くよう繁殖してきた。
ちょうど人間が、
牛を品質改良して更新世の原牛が有していた形質の多くを取り除いたように。






「その場にとどまるためには
全力で走らねばならない。
もしどこか別の場所へ行くのならば
2倍早く走らなければならない。」
(赤の女王のセリフ『鏡の国のアリス』)


なんしか、カッコいい大人になろう。