2018年8月23日木曜日

【読書】あなたの人生の科学

「あなたの人生の科学 / デイヴィッド・ブルックス」
を読みました。


「無意識の力」に言及した良書。
エリカとハロルドという2人の成長過程を軸にストーリーが展開する。
その人間が発達する際に生じる現象を科学的に解説していて、
ジャーナリストである著者は、優れた書籍から引用を多々している。
これが、とてもメモしたい欲にかられる素晴らしいものばかりでした。
いやいや、なかなか、刺激的な良書でしたよ。
いつものように自分のために残しておきます。




人間が幸福になる上で、
無意識がいかに重要な役割を果たすか、
それを知ってもらいたいのだ。


この本を読めば、人間にとっていかに感情というものが
重要かがわかってもらえると思う。
理性より感情、なのだ。
そして、個人よりも、人と人のつながりが重要である。
IQよりも、いわゆる「人柄」が大切になる。


私たちが自ら判断や決断を下したと持っていても、
そこには必ず周囲の人たちからの影響があり、
そして、自分の判断や決断はまた周囲に影響を及ぼすのだ。
私たちは他人がいてはじめて自分になれる。
互いが互いを人間にしていると言ってもいい。


無意識は心の内側にありながら、いつも外を向いていて、
いつも他人とのつながりを求めているのだ。
無意識にとって最大の幸福とは、
人の輪の中に自らの居場所を確保することである。
無意識は愛を強く求める。


意思決定は、理性の仕事ではなく、
実は感情の仕事なのだ。
意思決定は私たちの知らないところでなされ、
私たちの意識には後で知らされる。
そうわかったことは、一つの革命だったと言っていい。


理性と感情は決して切り離せない。


親はただ、良い親であればいい。
それで十分なのだ。
親が子供に与えるべきもの、



それは一定したリズムである。
親から一定したリズムが与えられれば、
子供はそのリズムに乗ることができる。
リズムに乗れば、衝動に負けて無軌道な行動をとることもなくなる。
親は基本的に子供に優しく接すればいい。
その中に「ここから先はダメ」という規律があればいいのだ。
ストレスを抱えたときに、
感情に任せておかしなことをしないよう「かせ」をはめてやる。
子供にとって、その「かせ」は拠り所になるはずである。
また、親は問題に立ち向かうときのお手本にもなる。
子供は親の姿を見て育ち、
将来、自分が問題に直面した時には、
無意識に親をお手本として行動しようとするのだ。


ジョン・ボウルビィはこんな風に言っている。
「私たち人間にとって何より幸せなことは、
ゆりかごから墓場まで、
冒険の旅の連続のような人生を歩めることだ。
長い旅もあれば、短い旅もあるだろ。
そして、大事なのは、旅が終われば、
愛する人の待つ安全な基地に帰れるということである


癇癪を起こしやすい乳児や、夜泣きをする子供は、
親に対する愛着が少ない傾向があり、
反対に明るく快活な子供は
親に強い愛着を感じていることが多い。


G・Kチェストタンは、
「真に偉大な人間とは、
あらゆる人を最高の気分にさせる人間である」
と言った。


究極の目的は、
生徒たちを独学のできる人間にすることだった。
自らの力で学び、何かを発見したときの
あの官能的とも言える喜びの感情を覚えてほしかった。
懸命に努力し、少し苦しみを味わった後に「わかった」と感じる嬉しさ、
それを知って、中毒になってほしいと思っていた。
そうなれば、あとの人生はずっと独力で学ぶことができる。


はじめの段階ですべきことは、
学ぶ人を学ぶ対象に惹き付けることだ。
対象に魅了され、もっと知りたい、もっとできるようになりたい、
という強い気持ちを持たせられたら成功である。
ベンジャミン・ブルーム


キャロル・ドゥエックによれば、
人は努力した後に他人に褒められると、
「自分は努力する人間である」
という自己イメージを持つようになり、
褒められれば褒められるとほど、
そのイメージは強化されるという。
そういうイメージを持った人は、
積極的に新しいことに挑戦するようになる。
一方子どもの頃から「賢い」と誉められていた人は
自分は何かをすれば成功するように生まれついているのだ、
という自己イメージを持つようになってしまう。
そして、「賢いと思われたい」ということが行動の基本になる。
新しいことへの挑戦は消極的になる。
失敗してバカだと思われるのが怖いからだ。


本で得た知識を無意識化しようとすれば
本を繰り返し読む必要が出てくる。


あるスパルタの教師は
「名誉につながることはすべて心地良い、
私は子どもたちにそう教えている」


睡眠中に記憶が整理されるということは、
多くの研究者が認めている。


ギリシャ語「テュモス」の中には、
認められたいという願望も含まれている。
他人に自分の存在を認めてほしいという願望だ。
それも、一時ではなく、絶えず見てほしいという気持ち。
永遠の名誉を求める気持ちと言ってもいいだろう。


嘘でもいいからやってみる
(Fake it until you make it)


ティモシー・ウィルソンは、次のように言っている
まず行動が変わることで、考え方、感じ方が変わることもある。
社会心理学がもたらした発見の中でも、
これは特に時を越えて価値を持ち続けるものだろう。」


敵のことは考えないようにした。
考えることを禁じたのだ。判定のことも考えないようにした。
彼女は自分のプレーを、打ったボールのみによって評価することにした。
ラケットでボールを打つことがどのくらいうまくできたかで評価しようと決めたのだ。
それ以外のことは自分の力ではどうしようもないからだ。
人に褒められるかどうか、自分に才能があるかどうか、
というようなことは考えない。
自尊心を満たすことは重要視しないのである。
いかに技術を磨くか、それだけを考える。


技術のことだけに集中することで、
彼女の自我は静かになった。
自分のことには注意が向かなくなった。
ゲームそのものに全神経が向く。
勝って注目されたい、とか
負けたら悔しいというようなことは考えなくなったのだ。
余計なことを何も考えないことで、
プレーの質は格段に上がった。
彼女は職人のようでもあった。


荒れた精神状態になった時のための儀式もあった。
自分の怒りを見つめ、心の中でこうつぶやくのだ。
「私は怒っているんじゃない。
私の中で『怒り』という現象が起きているだけなんだ」と。


野心の強い人たちはまず、
自分の存在に関して根の深い危機感を持っている。
偉大な作家、音楽家、画家、政治家などの多くが、
9歳から15歳までの間に親と死別するか、
あるいは親に捨てられるかしている。
自分と何か共通点を持つ偉大な先人を見つける人も多い。
同じ町野出身ということもあるし、
民族的背景が同じということもある。
とにかくそういうつながりを発見することで、
自分にも可能性があると感じ、
成功への道筋を示してもらったような気にもなる。


メドウマウントミュージックキャンプでは、
楽譜にするとわずか1ページの部分の練習をするのに、
三時間もかけることがある。
普通の五分の一くらいの速度で
ゆっくりと演奏する練習をすることもある。
そのくらい遅いと、
そばで聴いていても、何の曲なのかはわからない。
曲がわかるようであれば、
まだ速すぎると言ってやり直しをさせられるのだ。


ダニエル・コイルは、
「能力はすべて、一種の『記憶』である」
と書いている。
記憶であるからには、
相当の練習を繰り返さない限り、
脳には定着しないということだ。


「IQの高さは、人生の成功のせいぜい20%にしか貢献しない」
ジョン・D・メイヤー、ピーター・サロヴェイ、デイヴィッド・カールソ

ショッピングモールでは、
出入り口の近くに配置された店舗の売上があまり伸びない傾向にある。
商品が横に並べられている場合、
たいていの客は、右に置かれているものほど高級なのだろうと思うという。
レストランでは、連れの多い人ほど多く食べるという傾向がある。


「客は嘘をつく」という格言がある。
最初にほしいと言ったものと、
実際に気に入って購入するものとはまったく違っていることが少なくないからだ。


感情が強く動いた時に見たものはよく記憶されるので、
まずは感情に訴えることが大事です。


今までは、「良いものがあるから買ってほしい」というアプローチだったのが、
「あなたの要望に応えるために動きます」に変わったのだ。


顧客と会った時はまず
「困っていることは何ですか。
解決のために何かお手伝いできますか?」
とたずねるようになった。


学校は、生徒に幅広い科目を勉強させる。
だが、人生に成功するためには、
何か一つ自分のすべきことを見つけ、
それを生涯続けていくということが求められるのだ。


人間の知覚は、先入観によって、
また前後関係によって左右されやすい。
集団で話し合った場合には、不合理な意思決定が下されやすくなる。
そして、何より重要なのは、
「人間はあまり未来のことを考えられない」
ということである。
未来の成功を犠牲にしても
現在の満足を優先させる傾向があるのだ。


1本30ドルのワインは、
1本9ドルのワインのそばに置かれていると高いと感じるが、
1本149ドルのそばでは安く感じる。
(ワインショップがほぼ必ず、まず誰も買わないであろう
極めて高価なワインを店内に置いているのはそのためだ。)


投資家は、
株価が上がっていて「今売ると得をする」という時の方が、
株価が下がっていて「早く売らないと損失が大きくなる」
という時よりも早く株を売る。
これは自滅的な行動であり、
結果的にみすみす損を増やすことになるのだが、
なぜこういう行動を取るかというと
「損が出ている」ということを認めたくないからだ。
損失を認めることは大きな苦痛を伴うのである。


アンドレ・ドンデリは、
人間には、何か困ったことがあった時、
「他人に助けを求める人」と
「自分で何かをしようとする人」の二種類がいる、
と言っている。
前者は人に何かを頼むことをまったく恥ずかしいことだと思わない。
一方、自分で何かをしようとする人は、頼みごとが好きではない。
他人の頼みごとを断ると罪悪感を覚える。
彼らが頼みごとをするとすれば、
答えが100%「イエス」であると確信があるときだけだ。


まだ駆け出しの20代や、
そろそろ引退し始める60代の時期の方が
幸福度が高くなる傾向がみられる。


ある調査では、
結婚がもたらす精神的満足は、
年10万ドルの収入に匹敵するという
結果も得られている。


ハロルドは、
大人として幸せに生きるためには
二つのことが必要なんだと言った。

一つは良い結婚をすることだ。
良い結婚ができれば、仕事でいくら失敗や挫折を経験しても、
絶えず一定以上の幸福を感じていられる。
逆に、良くない結婚をしてしまったら、
仕事でいくら成功を収めたとしても、
いつもどこか満たされない思いでい生きることになるだろう。

もう一つ必要なのは、仕事でも趣味でもいいから、
何か、自分の濃厚のすべてを注ぎ込める対象を見つけることだ。
何かに懸命に打ち込み、数々の苦労、失敗を重ね、
それを糧としてやがて成功を収め、他人から認められる、
そういった人生が歩めれば、とハロルドは思っていた。

二つは互いに矛盾する。
それはハロルドもわかっていた。
結婚をすれば、仕事につぎ込む時間は減ることになるだろう。
仕事に集中してしまえば、結婚相手に費やす時間は減ってしまう。


人間の脳は自分を過信するようにできている。
実際には絶対という確信が持てないはずのことを絶対だと思い込む。
自分の意思ではどうにもできないことをできるかのように信じこむこともある。
そう信じ込むために偽りの物語まで作り上げるのだ。


興味深いのは、
自信の強さは、その人の能力の高さと
ほとんど関係がないということである。
むしろ、能力の低い人ほど自分の能力を過大評価する傾向がある。


ジム・コリンズによれば、
組織は、進行性の病気のように段階を追って衰退していくもの、
ということになる。


実は、「理性か感覚か」という議論は、
非常に歴史の古いものである。
知の歴史は、両者の間を絶えず揺れ動いてきたと言ってもいい。


無意識は、その時々の状況、前後関係に大きく影響を受ける。
そして、その時にどういう気分でいるかによって、
人間の知的能力、知覚の働きにかなりの変化が生じる。


どういう分野の活動でも、最高のレベルになると、
無意識の果たす役割が非常に大きくなる。


三つ以上の物事を同時に比較するのは難しい。


ブルームは
「人間は、誕生後ごく早い段階ですでに原始的な正義感を有しているようだ」
と言っている。もし、この見解を正しいとすると、
私たちは子どもたちに正義とは何かを白紙から教えなくてよいことになる。


リチャード・ウィルキンソンとケイト・ピケットは、
自分は社会の中でも低い位置にいるのだ、
と思うだけで、人は強いストレスを感じ、心理的な負担がかかる、
と書いている。
低い地位にいると思うことによるストレスが健康を害すると考えられる。


女性は、多くが高齢になると若い時より自己主張が強くなるが、
男性は他人に同調する傾向が強くなる。


全体に年を経るほど外交的になり、自分に自信を持つようになり、
他人に対して友好的になるという傾向が見られたという。


ヴィクトール・E・フランクルは
有名な著書「夜と霧」の中で
「人間にとって、自らの生きる意味に対する関心は、
何にも勝る重要な動機である」
と書いている。


笑いは、話が面白いから起きるというよりも、
その状況が心地のよいもので、
また他の人も同じように感じていると
察知した時に自然に起きるものである。


笑いは、人が互いの間の関係を築くために
使う言語であるとも言える。
関係に齟齬が生じた際の修復にも役立つし、
すでに築いた関係をさらに強固にするのにも役立つ。


笑いは、人とつながろうとする本能の表れである。








「人間には2種類の美徳がある。
『履歴書向きの美徳』と『追悼文向きの美徳』だ」
(デイヴィッド・ブルックス)


なんしか、カッコいい大人になろう。