2019年5月2日木曜日

【気づき】今を生きるとは【私的解釈】


「今を生きる」

これまで、私の人生で何回も出会ってきた言葉。

大切な言葉だってことくらいは理解できています。

今まで、なんとなくわかったつもりになっていたけれど、
本当の意味まで理解できていないと思うのです。



ある日 「今を生きる」の意味が
ほんの少しわかった気がしたんです。
それには、日ごろの訓練が少し必要だっていうことに気がついたんです。
そして、その訓練をしようと心に決めたんです。
だから、そのことを書き留めておこうと思いました。
でもね、みなさんの考える「今を生きる」とも少し違うかもしれないんですが、、、。



「今を生きる」ってのは、
きっと「やったもん勝ち」「笑ったもん勝ち」というような
自分勝手で刹那的な、
わがままを認めてもらって好き勝手に生きるような、
浅はかなものではないと思う。
もちろん、人生を楽しもうっていう意味で
「やったもん勝ち」「笑ったもん勝ち」っていう心の持ちようも
時には必要なんだけれど。


今までの私の「今を生きる」の解釈は、
「一期一会」的な、
「会った時が別れの時」として人と会いなさい。
みたいな解釈でいました。
たしかに滅多に会えない人には、
その感覚は少し持てた気がしますが
実際に、普段会う人とも同じようには、
日常ではできていないと思います。


また、
「自分の目の前にあることに集中し、
一つ一つ丁寧にゆっくりやる。」
ってやつも、分かっちゃいるけど
なかなかできないですね。



そんな感じで、
決して「今を生きると」とは言えない
平凡に日常を暮してしまっていました。



ある日、
散歩に出かけてたんですが、
ふと空を見上げると綺麗な夕陽の美しい空だったのです。
「この綺麗な風景を写真に収めたい」
って思いが湧き上がりました。
でも、次の瞬間
「カメラを取りに帰らなきゃいけないし、また今度」
って思いました。
そして、散歩を続けました。
家に帰ったころには、
綺麗な夕陽はすっかり翳っていました。


大切なことに気づいたんです。

なぜ、「散歩」という、
私にとって自由な時間を過ごしていたにも関わらず、
家にカメラを取りに帰っても2~3分ほどのことであるにも関わらず、
最初にやろうと考えた「散歩」を続けたのか?

それは、単にちょっぴり「面倒」だったのかもしれません。

写真に収めたい「綺麗な夕陽」に出会うという「ハプニング」に比べても
「当初の予定」の「散歩」をするの方がよっぽどいつでもできる、
また今度でもできることなのに。

別に、写真を撮らなかったところで、
自分も予定通り散歩を続けたところで、
なにも困ることはありません。
でも、自分の心の小さな声に耳を傾けて実行していれば
人生は少し豊かになるのかもしれません。


実は、5年前のこと
同じようなことをして
悔しい思いをしました。

その日私は、とある用があり、
とある駅にいたのですが、
そこに、ものすごい人だかりができていました、
なぜにそんなに人がいるのかの理由を
通り過ぎて少ししてから知ったのです。

数十分後に、
天皇陛下が通られるということだったのです。

「2~3分かけて戻らなければならない」
「数十分待たなければならない」
それだけの理由で
そんなに時間を拘束される用でもなかったにも関わらず
「また今度」と、
その用に向かいました。
その用が終わった後戻った際には、
当然天皇陛下は、通過された後でした。

その後5年以上経ちました、
そんなチャンス
いわゆる「また今度」は、
訪れることも無く、
平成も終わってしまいました。

この時のことを、
ずっと悔いています。


このお目にかかれるチャンスを逃したことと、
綺麗な夕陽のシャッターチャンスを逃したことは、
私にとっての事の大きさこそ違えど、
共通することがあります。



「今を生きる」とは、


「心の小さな声に耳を傾ける」
「面倒がらない」
「ハプニングを楽しむ」
「ハプニングを優先する」
ということなのかもしれません。


そして、
その夕陽を逃した次の日
家の駐車場付近に、
他人のゴミが散らかってました。
一瞬「片づけよう」と思いましたが、
次の瞬間、
「ちょっと面倒」
「他の人が片付けてくれるかも」
「気づかなかった振りをしてもいいのではないか」
「近所の人にどんなふうに見られる」
なんて、考えていて
「また後にしよう」
と思いました。


「また後にしよう・・・。」

その時、
ピンっと感じるものがありました
「またあとで」
「また今度」
って言葉が出てきた時が
サインだッ!

そのサインが出たら
「今やってみる」
ただそれだけです。



そのサインに気づいた時に
「今やってみる」という訓練をしていこう。
と心に決めました。



それが、
私の考える
「今を生きる」だと思います。



「これと同じ場面にはもう出会わない」
だから、
「今やろう」







平成も終わっちゃったけれど、
少し、「今を生きる」ってことが
分かった気がしたんです。


なんというか
「1回度しかない人生」
というような肩肘張った
大げさな表現とは少しちがって、
「1回限りの場面、場面を生きている」
って感じでしょうか。
逃しても問題は無いけれど
一回きりなんだよって感じ。
伝わるかな~。






いまを生きる。
「ロビン・ウィリアムズ主演にハズレ無し。」
これは、私の持論です。
人生楽しんだもん勝ちではあるんですが、
それだけじゃ寂しいですよ。



BE HERE NOW / OASIS
日本で一番売れたオアシスのアルバム。
のちにリアムも失敗作だと公言していて、
事実、リアム本人が選曲したベスト盤には
このアルバムの曲が一曲も収録されなかったんです。
私も買った時はがっかりした1人ですけどね。
前の アルバム( What's The Story) Morning Glory?が、
あまりにも良過ぎましたからね。
閑話休題。
このアルバムタイトルが発表された時
「BE HERE NOW」ってのが、
今を生きる的な意味だろうと私は解釈して
アルバムを待ち遠しく待っていたんですね。
歌詞を聞いても「今を生きる」的なことは、
私は、くみ取れませんでしたが。
今となっては懐かしい思い出です(笑)







「その日をちゃんと生きること。
人生にこの日は一度しか訪れない」
(エリッククラプトン)



なんしか、カッコいい大人になろう。