2020年1月16日木曜日

【読書】本気で言いたいことがある

「本気で言いたいことがある / さだ まさし」
を読みました。



生まれてきた以上、
お前が何者かを
確かな力で大地に刻んで死ね。
それに価値があるか無いかは
自分で判断するな、
後世の評価に任せろ。
親が子供に伝えるのはそれだけでいい、
と思います。


やはり、第一線をずっと走り続けられてるだけに
考え方がしっかりされています。
改めて感銘を受けることも多いです。
この方のファンになってしまいました。
この方トークもおもしろいですからね。
いつものように、自分のために残しておきます。





間違いだ。
孝行は、親が生きているうちにするんじゃ遅い。
親が、「元気」なうちにするのが孝行だ。
孝行する気があるなら、親が元気なうちにしてあげてくれよ。


自分や自分の身の回りを幸せにできないで、
それ以外の人を幸せにできるはずがない。


封建の昔、女は我慢を強いられた部分も沢山あるけれど、
社会的な性差別の中で、昔の女性たちはある意味で実に利口でした。
「男をおだてて使う」という手法に長けていたのです。
「お父さんは一家の大黒柱です」と大声で言う。
また「お父さんは家の中で一番偉いんです」と
いつも子供に言うのは、お父さんに聞こえるように言っているということなのです。
こういう配慮はいったい何のためだったのでしょうか。
そうです。実は子供の教育のためだったのですね。


お父さんを馬鹿にして育った子供と、
お父さんを尊敬して育った子供とでは、
「大人」に対する考え方も変わります。

小さなお子さんを持っている人が、
よく「どう育てていいか分からない」と
口にしているのを聞きますが、
それは非常に困った問題です。
それは自分の子供が、
どんな大人になって欲しいのか分からない、
ということですからね。

だから、手っ取り早い目標として、


子供を「生活に不自由しない」=「お金が稼げる」ように
育てようとするのかもしれませんね。



僕は、職業というものは、
命がけの人生観の噴出だと思うのです。
青臭い意見だ、と笑われるかもしれないけれど、
仕事というものは経済活動にはちがいないが、
その仕事の先にある、この道を行きたいのだ、
という自分の人生とイコールになるような、
仕事への愛とか誇り、みたいなものが実は一番大切だと思っているのです。
だから、
僕にとっての職業の理想は「楽しんでやれる」ということです。
もちろんそれで賃金が良ければ最高ですが、
賃金のために嫌な仕事を我慢してやるなんてまっぴらです。



子育てはとても難しいと思います。
しかし、一番大切なことは
子供が自分の人生を「楽しんで生きる」ことができるかどうか、
ではありませんか?


成功して振り返ったときに、
「お金」以外に自分が作り残したものを見つけられないのでは、
さぞ寂しかろうと思います。
全く、親自身の大事なものの第一位がお金じゃあ、子育てもクソもありません。
生まれてきた以上、お前が何者かを確かな力で大地に刻んで死ね。
それに価値があるか無いかは自分で判断するな、後世の評価に任せろ。
親が子供に伝えるのはそれだけでいい、と思います。



町内の憎まれ役が本当にいなくなってしまった。
こういう時代だからこそ、
嫌われてもいいから、「ダメなものはダメ」と
はっきり言える人が日本には必要なんですよ。




「自分の老い先が短いから、
嫌なことは言わずに済ます」というのは、
実は愛ではなくむしろ薄情だと知るべきです。
「自分の老い先が短いから」こそ、
「孫にはきちんとした考え方を教え諭す」のが、
正しい祖父母のあり方です。



息子は中学生になってましたから、
もう大げさには誉めませんでした。
ある時期からは「善」じゃなく、「当然」を教えなきゃいけない、
と思っているからです。
このケースの正しい褒め方はおそらく次の通り。
「困っている人を助けるというのは当たり前だから褒めないけど、
それが自然に出来るおまえの気持ちが嬉しかったよ、ありがとう」




今の日本人に一番欠けている言葉は、
「惜しまない」ではないかと思う。
みんな、何故色んなことを惜しむんでしょう。




今日出来ることは、今日しかできないんです。
明日も出来る保証はない。
僕は、いつも「惜しむな、惜しむな」って自分に言い聞かせながらステージに立ってます。
その日持ってるものは、全部ポケットから出すようにしていますからね。
「しまった、出し忘れた」ということはあるけれど
「明日にとっておこう」なんて、考えたこともない。




かつて対談させていただいた時にうかがった、
長嶋茂雄さんの素晴らしい言葉があります。
「今日の試合を見に来てくれたお客さんの中には、
一生のうちたった一回だけ見に来たという人が必ずいる。
一生に一度だけ見に来てくれた人に、
元気のない長嶋を見せたくない。
調子のいい悪いはあるけれど、
ダメならダメなりに
『あのときの長嶋の空振り三振は綺麗だった』
と言ってもらえるようなフルスイングを心がけたーーー」




諦めた方が楽だな、と思うことも多いけれど、
「投げたらあかん、投げたらあかん」と自分に言い聞かせていく。





勇気が大事だ大事だと言ってると、
大層なことのように聞こえるかもしれませんが、
そんなことはありません。
大変なのは最初だけで、後は、どんどん楽になっていきます。




「勇気」と「元気」は、減らないだけじゃなく、
使えば使うほど増えるんですから。



話し上手は聞き上手、と言って、
会話の上手いという人は話を聞くのも上手いんです。
聞き上手の人は、実は好奇心が旺盛な人です。
つまらない話でも、懸命に興味を持つ努力をしながら聞く。
そうすると、必ずもっと聞いてみたい何かは発見できるのです。



平和を守るというのは、力仕事です。
平和の確保って実は大変な重労働なんです。
家庭の平和を守るのだって大変でしょう。



「オレの目の黒いうちは、変なヤツに指一本触れさせないから安心しろ」
というのがお父さんの役割であり責任だと思う。
もちろん、力に訴えて解決するんじゃなく、できることなら八方丸く納めた方がよい。



ネイティブ・アメリカンのナバホ族に伝わる言葉に、こんなものがあります。
「地球環境は先祖から受け継いだものではなく、
子孫から借りているものである」



先に死ぬからこそ、先に「借りを返す」順番になるからこそ、
未来に恥ずかしくないようにしておかないといけない。
元気なうちに、出来ることはやっておかないとダメなんです。





大したことが出来ないからといって、
悲観に暮れることはありません。
何が出きるかを考えることが一番大事なんです。




僕は、毎年8月6日に「夏 長崎から」と題して、野外コンサートをしています。
そのとき、お客さんに一つだけお願いをしてきたんです。
「このコンサートが終わるまでの間に、
ほんの僅かな時間でいいから、
あなたの一番大切な人の『笑顔』を思い浮かべて欲しい。
そうしてその『笑顔』を守るために自分に何が出来るだろうか、
ということを考えて欲しい」と。




このコンサートを通じて僕は、「門番になる」と決めた。
「平和を考える入り口」に立つ、門番です。



このとき悟ったのは、
お釈迦様は「生きる苦しみ」という概念を発見した人なんだ、
ということでしょうか。




「未来」という時空間は
「今とても想像も出来ないような“素敵なこと”が起きる可能性のある時空間」
なのです。










「この世に不幸なんて存在しない。
普段の生活に幸せを見つけ出せないから不幸に感じる。」
(さだ まさし)