2019年3月7日木曜日

【読書】終わった人

「終わった人 / 内館 牧子」
を読みました。

定年後ってどんな気持ちになるの?
っていう好奇心で読みました。良書でした。

日々忙し過ぎて、
つい自由な時間が欲しいって思うのですが
恐らくですよ、「忙しすぎる」と「暇すぎる」の
どちらかしか体験できないと思うわけなです。
でもって、一旦「暇」になると
そこからなかなか抜け出せないんだろうと想像してます。
そんな思いから定年を疑似体験したくて読みました。
考えさせられる名言だらけでしたので、自分のために残しておきます。





定年って生前葬だな。


人間の価値は散り際で決まる。
「散り際千金」だ。


「散る桜残る桜も散る桜」なのだ。


「いつでも会社に遊びにいらしてください」
「みんな待ってますから」
むろん、本気にして遊びに来たりしたら、
迷惑がられるのは先刻承知。
真に受けて訪問してくるバカOBには、
俺もほとほと閉口したものだ。



会社はいつものように動くのだ。
俺がいなくとも。
誰も何も困らずに。





激しく熱く面白く仕事をしてきた者ほど、
この脱力感は深い。


人間の行きつくところに大差はない。



政治家たちが「これは僕がやったこと」、
「これは私が決めたこと」と
必死にアピールする心理が理解できた。
任期のうちに痕跡を残しておきたいのだろう。
だが、結局、名なんて刻めないものだ。
それはすぐに忘れられる。




とにかく、明日から
あり余る時間の中に身を置かねばならない。
死ぬまでずっとだ。



そう言われて気がついた。
俺には、一緒に温泉やドライブに行くような友達がいない。
会社の者たちは「同僚」に過ぎず、
学生時代の者たちとは疎遠だ。


人にとって、何が不幸かと言って、
やることがない日々だ。



休日に昼まで寝ていることも、
陽の高いうちから酒を飲んでテレビのスポーツ中継を見ることも、
絶対にやらなかった。
それは仕事という芯があればこそやって快感なのだ。
芯がないのにそれをやると、気持ちが荒む。



何も残ってはいないし、何も起こりはしない。
確実に残っているのは葬式だけで、
俺はすでに終わった人なのだ。
少しでも長く一人で歩きたいと、それだけを望む年齢なのだ。


「こころよき疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後のこの疲れ」
という一首があった。
そして、啄木の日記が引用されていた。
「何に限らず一日暇なく仕事をした後の心持はたとうるものなく楽しい。
人生の真の深い意味はけだしここにあるのだろう!」
しみた。



「人は死ぬまで、誇りを持って生きられる道を見つけるべきだと……
あの時、骨身にしみた」
胸を射ぬかれるような、痛い言葉だった。



人の行く末なんてわからないものだ。



いいものを見せてもらったと思った。
気を付けないと、遅かれ早かれ俺もこの元副社長のようになる。
今はまだ、自慢話に自制はきく。
だが、ジムと家を往復し、
何ら達成感のない日常をずっと続けていれば、必ずこうなる。
少しでも誇りの場が訪れたなら、自制のタガが外れるだろう。


いつ果てることなく話し続ける元副社長を見ながら、
過去に華やかなポジションにいた人ほど、こうなるのだと思っていた。
自然に美しく枯れて行くことの難しさを、
この72歳の元副社長は全開にしていた。



「生前葬」以来、俺は所属する場がなく、
自分自身の存在を肯定できなかった。
肯定できない自分のどこに、誇りを持てるというのだ。
「暇だ」とか「やることがない」とかいう言葉で誤魔化してきたが、
所属する場のない不安は、
自分の存在を危うくするほど恐ろしいものだった。


「辞める時は即」が鉄則だ。
相手が困る時期に辞めるものだ。
散り際千金だ。



俺が何よりも望んでいたのは、
社会で必要とされ、仕事で戦うことだった。


「スーツ姿だったけど、スーツが息をしていなかったから」
「仕事を離れて、スーツにふさわしい息をしていない男には、
スーツは似合わなくなるのよ」
「ま、女はスーツに息を吹き返させられないからね」



死んでは元も子もないとは言うが、
自分で選択し、楽しみ、苦しみ、ワクワクした人生は、
決して悪くなかった。そう思う。



サラリーマンは、身を粉にしても、
やめれば何も残らないのだ。



年齢や能力を泰然と受け入れることこそ、
人間の品格よ。



成仏していないのだ。だからいつまでも、
迷える魂がさまよっている。


顔が一変した。この間会った時とはまるで違う。


もしこの大患が来なかったら、生命を掴むこともできず、
真の生活に入ることも出来ずに、落ちて行ったのではないか。(下山逸蒼)



青くさいけど、苦しい時って青臭いものに救われるんだよな。
この文章で、
俺の苦しみなんて死ぬまでのほんの一瞬だよなって、いつも救われた。



俺も九ヶ月間の地獄の苦しみがなかったら、
ゴールドツリーのような小さな会社をバカにしていただろう。
小さな会社の面白さも、そこで生きる人たちの力も知らず、
代替品の片恋や、さほどの熱もない大学院受験の中で、
落ちて行ったのではないか。




俺、孫の成長と幸せばかりを願うヤツらには
近寄らないようにしてるんだ。
ジイさんバアさんの生き方って、伝染るから。
伝染ったら、リングに立つ気が失せる。



世間ではすぐに、「ネバーギブアップ」というけれど、
「ネバーギブアップ」に価値を見過ぎだよ。
僕は「散り際千金」の方に、ずっと価値を見るけどね。



女に関しても、そういう自分を確認したかったのかもしれない。
若い女と付き合い、泊まり、仕事だけではなく、
男としても「終わった人」ではないのだと。



年齢と共に、それまで当たり前に持っていたものが失われて行く。
世の常だ。
親、伴侶、友人知人、仕事、体力、運動能力、記憶力、性欲、食欲、出世欲、
そして男として女としてのアピール力……。



そんな年齢に入ったと思いたくない。
だから懸命に埋めようとする。まだまだ、まだまだ……。
六十代は空腹なのだ。失ったものを取り戻し、腹に入れたい。



怒り心頭に発したのは、
男として見られていなかったことへの
恥辱だったのかもしれない。



「生き甲斐」は大きい。



「私ね、あの時やっと気づいたの。
他人に使われて生きていくのはイヤだって」
そうだったか。俺から学んだか。



独立を宣言して以来、
千草はますます生き生きして見えた。



俺が今、生き生きと張り切る千草を、
好きにやらせようと思えるのは、自分自身が幸せだからだ。
家族の幸せを喜ぶ幸せではなく、
俺自身の人生が幸せだからだ。



「一般オヤジでもさ、そういう空気をまとってる人はいるよ。」
「家庭がうまくいってない人」
「要は、男には何かどっか破綻した空気がないと、もてないってこと」



考えてみれば、
世の中何もかもが「生きてるついで」かもしれない。
「職場と墓場の間」に何もない人生が、いかにつまらないか。
それは俺の身にしみている。



年代によって「なすにふさわしいこと」があるのだ。
形あるものは少しずつ変化し、やがて消え去る。
それに抗うことを「前向き」だと捉えるのは、単純すぎる。
「終わった人」の年代は、美しく衰えていく生き方を楽しみ、讃えるべきなのだ。




孤独とは誰とも分かちあえないものだ。
俺は今になってやっとわかり、
他人の孤独にもやっと思いが至る。




その中で、「ああ、六十五でよかった」と思っている自分に気づいた。
平均寿命まで生きても、あと15年。
そのくらいなら、たとえ社会的に葬られたところで、耐えられる。
もしも、三十代や四十代なら、この先40年も50年も、棒に振ることになる。
取り返しがつかない気にもなるだろう。
先が短いということは、決して不幸とばかりは言えない。



先が短いという幸せは、
どん底の人間をどれほどに
楽にしてくれることだろう。



「先が短いのだから、好きに生きよ」ということなのだ。



一般的に考えても、家庭での主導権は妻が持つ。
多くの場合、夫が家計の柱になる。
身を粉にして家族を養い、
やっと「終わった人」として家にいるようになると、邪魔にされる。



「ああ、しゃらくさい。思い出と戦っても勝てねンだよッ」




「親父の思い出と戦っても勝てねのさ。同じように、
女房や息子と幸せだった日と戦ってもさ」



「顔色を見て下手に出る男を、
ママは好きになったんじゃないからね。
自信があってグイグイ行く男だったから、
好きになった」




二人ともさァ、利害があっても、
チャペルで「健やかなる時も病める時も」って、
神に誓ったわけでしょ。
今がパパの病める時ってことだよ。




「故郷に帰れば、再起できそうだって思ってるなら甘い」
「男の人ってすぐ故郷って言うんだよね。
特に年取ると、故郷に帰りたいって言うのはほとんど男。女はまず言わない。」
「故郷は遠くにあって、遠くから思うからいいってこと」
「戻ってくれば自分たちと同じだもの、誰も特別扱いなんかしてくれないよ」



定年を迎えた人たちの少なからずが、
「おもいっきり趣味に時間をかけ、
旅行や孫と遊ぶ毎日が楽しみです」などと力をこめる。
こんな毎日はすぐに飽きることを、
本人たちはわかっているはずだ。




若い頃に秀才であろうとなかろうと、
美人であろうとなかろうと、
一流企業に勤務しようとしまいと、
人間の着地点って大差ないね…。



主人公のように、着地点に至るまでの人生が恵まれていれば、
かえって「横一列」を受け入れられない不幸もある。



もしも「最後は横一列」とわかっていたなら、
果たしてそう生きたか。




重要なのは品格ある衰退だと
私は思います。






「思い出と戦っても勝てねンだよ。」
(武藤 敬司)


なんしか、カッコいい大人になろう。