2020年7月2日木曜日

【気づき】おかげさまが自然と言えるようになったら大人だね

お恥ずかしい話ですが、
「おかげさま」この言葉を40歳手前くらいまで
聞くことはあっても、発することなどなかったかもしれません。


私には、「師匠」と呼んでいる方がいます。

詳しくは言えませんが、師匠は音楽家でありベースギターの達人であります。
この師匠に若かりし頃、色んなことを経験させていただきました。
お酒とお金には少しルーズなところがありますが、
音楽をする際の鋭い眼差し、何とも憎めない豪快な笑い声と、まっすぐな感性は
私に大きな影響を与えてくださいました。
師匠との出会いには本当に感謝という言葉では語りつくせない感謝の気持ちがあります。


師匠は、訳あって隠者に近い生活をなさっているそうです。


師匠とは、もう数年お会いできていません。

年に数回お電話をいただきます。

いつだったかは定かではありませんが
あることに、私は気づきました。

それは、師匠が何かお話しされる際は、
必ず「おかげさまで」と付けて話されていることに
気が付いたのです。

以前からもそうだったのか、隠者のような生活をされてからなのかは
今となっては思い出すことができません。
それだけ、私自身にこの「おかげさま」という言葉に
関心がなかったのだと思います。


電話でひとしきり、お互いの近況を話し合ったあとに
師匠は必ず、「親は変わりはないか、子どもは元気にしているか」と聞かれます。


私も、7年ほど前の子どもの生まれた当時は、
何も考えずに「はい、元気にしています」とだけ答えていたはずです。
しかし、気づけばここ数年「おかげさまで」という言葉をつけて
答えることができるようになりました。

「おかげさまで」という言葉は、
人から聞くことはあっても
自分で発することなど考えられなかった言葉です。

ある日、自分の口から出た「おかげさまで」という、
自分に不釣り合いともいうべき言葉に自分自身が一番驚きましたし、
同時に「一体、何のおかげなのだろう」という自問が生まれました。

若いころは、なんでも自分の力でできたと思い上がっていました。
今となっては本当にそう思います。
しかし、歳がをとるにつれ、だんだんと自分の力だけではなく
周りの方の直接的もしくは間接的協力に支えられているということに
気づくことができるようになりました。

生意気だった私にも、歳を重ねるごとに自然と、
「おかげさま」という言葉がスッと心に入ってくるようになりましたし、
違和感なく理解ができるようになってきました。

これは、歳をとり若さという特権がなくなり、
自分自身の実力を受け止めなければならない場面にたびたび出くわし
否が応でも、己を知ることとなり
自分の思い上がりが打ちのめされ
自然と「謙虚な気持ち」を持つことができる歳になったのだと考えます。
そういう歳になり、それなりに経験をしたということなのだと思います。


そして、この「おかげさまで」という言葉を使っているうちに、
師匠との会話だけではなく、
他の方と話す場面にまで自然と出てくるようになりました。
違和感なく言えるようになった時、
大人になったなぁと自分自身で思いました。

これは、師匠に教えていただいた大切な教えだと思っています。

今の私には、まだまだ理解はできていませんが、
おかげさまをもっと深く理解すれば、
もっと大きな「サムシング・グレート(何か偉大な者)」に
支えられて生かされているというようなことが
分かるようになるのかもしれません。

「おかげさま」この言葉は、一生かけて勉強するべき深い言葉です。


<追伸>
ある日、師匠に言われた
「あなたは、他の人にはない何かを持っている」
という言葉が私の人生の支えです。







「いいことは おかげさま
わるいことは 身から 出たさび」
(相田 みつを)


なんしか、カッコいい大人になろう。